2017年04月10日

【レオ】ほんとうに真理をわかっている人は … たとえ話が上手い、平易な言葉で価値ある内容を語れる、言葉・表現が詩的で美しい

@ たとえ話が上手い。
A 平易な言葉で説明することが出来る
B むろん、内容のあることを語っている
C 言葉・表現が詩的で美しい


などといった特徴があると、わたしは考えます。
他にもいろいろあると思いますが、パッといま浮かんだのが、このあたりですかね。

哲学などは、内容は難しいけれど、シュタイナーは例え話が上手いです。カントは例えが抽象的でわかりにくいので、シュタイナーの方が分があるでしょう。これは盟友のガンちゃんとも一致した意見ですけどね。
たとえ話が上手いということは、その概念を本当に深く理解しているということ。
だからこそ、身近で、誰にもわかるような具体例をあげて、たとえることが出来る。
偉大なる人は、たとえ話が上手な人が多いと思います。カントも座談の名手だから、きっと座談会などでは、わかりやすい話をしていたと思いますね。


それから、平易な言葉で語ることが出来る、ということ。これ、大事ですね。
専門用語や四字熟語などを多用すると、どうしても文章は抽象的で難しくなりますけど、それを子供でもわかるような、わかりやすい話にして、語ることが出来るかどうか。
総裁先生は、不成仏のヘビを成仏させるには、ヘビの怨みつらみを理解してあげる力が必要。そのためには、ヘビにもわかるような、平易な言葉で説得するだけの悟りの力が要るのだと、以前、教えてくれたことがありました。
誰にでもわかるような、平易な言葉を使って、奥深い内容を語ることが出来る。平易な言葉で語ること。


では、たとえ話が上手で、平易な言葉で語れれば、それでいいのかといったら、
下世話な話を、卑俗なたとえ話でしゃべりまくる人間が、真理を悟った人間と呼べるはずもありませんからね。
やはり、その語る内容そのものに、深い精神性がなければ、価値のある普遍の真理とは言えない。


そしてまた、真理はそれが奥深いものであるほど、言葉に語られるときに、うつくしい表現をおのずと求めるものでしょう。
救世主の言葉はみな美しい、詩的な表現に満ちていて、それでいてなお、精神的にきわめて深い内容を持つ、永遠の真理ですからね。
美しい言葉、うつくしい表現、詩的なる言葉。これらもまた、必須の条件のひとつではあるまいか。

真理にかなった内容は、言葉にした時にも、うつくしい言葉と表現を求め、それゆえ、たとえ話にして語っても、その内容は心に深く響く内容を持っている。そしてそれはまた、平易な言葉によっても表現できるもの。

こんなことを思いながら、仕事帰りの道をさきほど歩いておりました。ハハハ。




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posted by ガンレオ at 16:38 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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