2017年03月10日

【レオ】品性のある人は、下品な言葉は嫌い

 … なのだから、下品な言葉は見ただけで、弾かれるもの。

ということが、下品な人たちには、わかっていないらしい。


下品な人たちは、その邪悪な不平不満を、思うがままにブチまけることに夢中で、
その怒りを言葉の表現そのものの中に投入してゆく。
怒りの激しさは、言葉の激しさとなり、激しい憎しみは、暴言、悪口雑言の嵐となって、
心が邪悪な怒りに満ちているほど、その言葉もいっそう醜く汚いものになってゆく。


地獄の悪霊、悪魔たちの、言葉の汚さ、下品さを見るがよい。

そこに表れているのは、心の醜さであり、その心が荒れているからこそ、言葉も荒く汚いのだ。


ベーという悪魔の言葉の下品さは、霊言を読めばわかる。
これを見れば、
似たような、下品な言葉づかいをして憚らないP吉のような人間は、この手の悪霊に好き放題操られる理由が、よくわかる。
言葉と思いの邪悪さが、ものの見事にシンクロして同通しているからですね。
心が同じ邪悪さで共通しているから、類は友を呼ぶで、悪魔・悪霊の手先になるわけだ。
傍から見ると、その同類ぶりがよくわかるのに、肝心の当人はまるで自覚が無い、魔の操り人形となっている。

いかに邪悪な意志を持った悪魔・悪霊であっても、
心が善性で満ちた人に、完全に取りついて操ることは出来ない。
心が違っていて、同通できないからだ。
接続できない以上、操ることも出来ないのは、理の当然。

波長同通の法則があるお蔭で、
人は、自分の心を正しくコントロールして、善に生きれば、悪に翻弄されることなど決してないのだ。
悪魔・悪霊は、その人のそばにいる、操れる人間を使って、間接的に惑わしてくることはあるかもしれないが、
その人本人を、直接的に惑わして、操ることなどは出来はしない。
家族全員が善人であれば、その家庭に入ることすら、悪霊には出来ない。
光の出城とは、そういうことだ。


品性の低劣な人たちは、自分の不平不満を、世に喧伝して聞いてもらいたいのだろうか、
あいにくなことに、

多くの人は健全な心の持ち主であって、善なる心を持って生きているのだ。
だから、彼らに共鳴してもらうためには、
自分自身が、善い思いを持ち、善き言葉を発する、品性のある人間にならないといけない。
邪悪な思いを、激しい言葉で訴えても、まともな人には知らんぷりされるのだから。

そのことを、下品な人たちは知らないのかもしれない(笑)。

といっても、下品な心のままで、言葉づかいだけ丁寧を装っても、その心根の卑しさは、その言葉の中身に出るからね。
善人をあざむくことは出来ないよ、ということも、付け加えておきましょう。


おしまい。




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posted by ガンレオ at 13:54 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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