2017年03月05日

【レオ】パクリについて <2016-12-20の記事、追記あり>

わたしは、あからさまなパクリ行為は大嫌い。

しかし、ある時、会社の後輩が、
いやぁ、ぼくらの世代は、パクリなんか当たり前ですよ、とか言ってきました。

それは違うだろ!とわたし。

誰かの作品に啓発されて、似たようなアイデアを使ったり、そういったインスパイアですね。
刺激を受けて、似たようなものを書く。模倣する、というのはいいでしょう。
まったく完全なモノマネではなく、しかも、インスパイアの場合は、オリジナルに対しての敬意があるでしょうからね。

最初は誰しも模倣、ものまねから入るものだし、そこから努力を積み重ね、自分独自のものを生み出すように成長するのが、習いの常でしょうから。

オリジナルの傑作に対して、大いなる尊敬の気持ちをもって、モノマネをする。
オマージュ作品とかも、こういうものですね。
オリジナルに似てはいても、やはりそれは、オリジナルを称えるがための模倣であって、あえて似たようなアイデアやストーリーを描いて、大本の作品を称えている。

しかし、パクリ行為というのは、これとは違って、ひそかに盗むことではないかと思います。
盗作というのも同じことですね。
実際には、完全な盗み行為であるのに、さもそれが自分のオリジナルアイデアのようにして書く。
そこには、他者の努力のたまものを盗んで、その作品やアイデアにともなう世間の喝采を、自分のものにしてしまおうという貪欲がある。

優れたアイデアを見た場合に、それを著者に黙って、こっそり盗んで、バレないように隠れて、さも自分が考え出した、オリジナリティーある作品やアイデアのように見せかけようと企んでいる。明らかにこれは企みですね。
そして、オリジナルが優れていれば、当然その作品に対しての賛辞が得られるでしょう。
これまた、本来は、オリジナルの作者が得るべき賛辞をも、その盗作者は盗んでいるわけですよね。

作品を盗むだけでなく、その作品への絶賛評価をも盗んでいる。
他人の努力と功績を盗んで、それを自分の手柄にしようとしている点で、こうした盗作やパクリは<悪>だと、わたしは思います。

中国や韓国が、日本人の作品を、許可も取らずに勝手にアイデアを盗んで、ソックリの作品を作ったりしていたら、これは盗みであり、悪であると私は思います。

仏教で言っても、これは<貪>でしょう。
自分の努力や成果でもないものを、得ようと欲する。他の人が生み出した果実のみを欲しがる。それへの賛美を欲しがる。自分が得るには値しない評価を求める思いは、貪欲というしかありません。

それから、<盗むなかれ>の不偸盗にも完全に引っかかっていると、わたしは思う。

それが盗みでない、パクリでない、悪意でない、と言うためには、
オリジナルの著者に敬意を表して、なおかつ出来れば、著者の許可を取ってアイデアの借用を許してもらうとか、これは誰それの作品へのオマージュです、とか、そういった敬意を表しての作品づくりをするはずだと思うんですよね。

それをやらずに、ひそかにパクるのは、盗みであり、貪であり、悪である。
わたしは、そう思います。

インスパイアして、似たような作品を作るといっても、やはり単なる亜流で二番煎じであっては、オリジナルを超えられないのが普通ですしね。
なぜ、そうなのかと言ったら、
オリジナルには、その作品の背後に遥かに深い思索と思いがバックボーンとしてあって、それが結実しての、その作品であるのに対して、

盗んだ人のパクリ作品には、それだけのバックボーンなり、背景がないからでしょうね。
出来上がった結果のみパクったとしても、それを生み出すための根源部分を、その盗作者自身は持っていないから、いくら結果だけ真似しても、それは単なるイミテーションの二流であり、深みがないんですよね。

オリジナルの作者は、類似のレベルの作品を、今後もドンドン生み出してゆくことでしょう。
しかし、それをパクっただけの人は、自分自身でアイデアを生み出す能力は持っていない。
オリジナルの優れた作品を生み出すためには、その人自身に、どれほどのバックボーンとしての、蓄積なりイマジネーション能力なりがあるかに係っている。
結果だけ盗んでも、その大本の才能自体を盗むことは出来ない。
それが、オリジナルのアイデア者と、パクリ者との決定的な差かと思います。

中国や韓国が、アメリカ製品や日本製品を解体して、その技術を盗んで安売りしようとも、それを超える新技術を、彼らはいつまで経っても創造できないのではないか。
結果だけ盗むという行為は、そこまでに到る技術開発や創造の力を身につけることをサボって、出来上がったものだけを盗む行為でしかない。
どうせ学ぶのなら、作る過程で必要となる、オリジナル者の考え方、その才能にこそ学ばないと意味がない。
そうでなければ、自分自身の才能が育つことは、金輪際ないのだから。


だから、パクリはダメです。

たまたま、同時期に同じアイデアのものが出る。そういう偶然はあるかもしれませんが、その場合は、双方ともに、傑作の名をほしいままにすることでしょうしね。
優れたアイデアは、その背後に、深い思いと発想、思索、熟考、作者の実体験から来る重みとか、いろんなものがあるんですよね。
そうでなければ、スゴイオリジナル作品、オリジナルアイデア、というものは出ないはず、ということです。

やはり、バックボーンとしての、みずから考える力、創造する力をこそ、みずからの内に育てていきたいものですね。
模倣に終始したら、終生、たんなるパクリの模倣しか出来ないままに、過ごすことになりかねませんからね。






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posted by ガンレオ at 09:23 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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