2017年02月24日

【レオ】サイコパスについて その2 〜まさに、ぽん吉そのもの〜


サイコパスの場合、「私はあなたを愛している」と言う時と「コーヒーを飲みたい」と言う時で、なんら脳波の動きが変わらなかったのです。


 


要するに、愛の言葉をささやいている<つもり>に過ぎなくて、機械的に<愛>という言葉を使っているだけ。それがサイコパスならではの特徴なのでしょう。


愛を打算で使って、異性を騙す結婚詐欺だとか、そういう犯罪者ですね。


 


サイコパスは「こういう状況では、他人はこう感じ、こう考えるものらしい」と、テストの答えを探すように相手の気持ちを読解し、操るのです。  

サイコパスは自分に共感性がないことに、薄々気づいてはいます。そして、他者に共感的なふるまいをまったくしないと自分にとって不利になるということを頭で理解しています。そのため、他の回路を使って対応するのです。

 


 


アダム・スミスは「道徳感情論」という著作で、道徳的行為は、共感にもとづくと述べていますが、


サイコパスには、この共感能力が無いわけです。本当の意味での、他者への愛情だとか、そもそも関心すら無い。


彼らにあるのは、極度な自己愛と、自我我欲、自分勝手な欲望でしかないのだから。


 


けれども、そんな彼らであっても、見せかけ上は、他者への優しさを見せないと、自分に不利になる、ということはわかっている。あるいは、優しい<ふり>をした方が、他人をうまく騙せる、ということは知っている。


老人を詐欺で騙す犯罪者とかいますね。優しげに近づいていって、言葉巧みに欺いて、老人たちから金をだまし取ったりする詐欺犯罪者。典型的な、自己中サイコパスといっていいでしょう。


こういう、道徳観念の欠落した、他者の苦しみに無関心の自己中人間こそ、サイコパスの特徴でしょう。


 


彼らは、他者への愛を、打算の上で叫ぶかもしれません。他の人への愛のために、自分は生きている、とか何とか。


けれども、その本心は、まったくそんなことには無頓着で、そうした方が自分に有利か、不利であるか、という打算的な判断でのみ、そうした見せかけの愛を演じているに過ぎません。


 


ただし、サイコパスは徹頭徹尾自己中心的で他人のことを一切かえりみない、ということではありません。  

サイコパスも「こいつは自分の仲間だ」と認めた人間に対しては「たとえ自分の損になっても人のためになる」ことをします。仲間が得をすると、自分も間接的に得をすることを知っているからです。

 


 


これまた、友情的<疑似>行動ですら、彼らは行なう、とのことですが、


やはり根本にあるのは、打算ですね。自分に利害のある味方に対しては、応援することがある。


けれどもそれが真の友情でないことは、自分にとって付き合う益がなくなった途端に、その相手との関係を断ち切る自分勝手を見れば、簡単にわかります。


どこぞのP吉は、かつてのお仲間を、関係が深いあいだは応援しながらも、自分と立場が変わったら、あっさり見捨てて罵っていました。


結局、こういう手合いのサイコパスにあるのは、自己中精神のみであって、他の人との真の友情など、結びようが無い、ということでしょう。


 


こういう人が地獄に堕ちると、孤独地獄、無間地獄というところに堕ちることになるのだと、わたしは推定していますが、


肉体に宿っているあいだに既に、その人生は<孤独地獄>なのかもしれません。


 


その証明として、著書にも次のような指摘があります。


 


サイコパスも悩み、苦しむことは当然あります。  彼らの悩みとは、いったいどんなものでしょうか。  

中国の武漢大学の研究チームが2015年に発表した研究論文によれば、サイコパスの一番の悩みは孤独感が強いことだそうです。彼らは、なかなか他者との信頼関係を築きにくい面があります。信頼関係を築けたと思っても、人の痛みがわからず、サイコパス特有のふるまいが一般人の感覚からは外れたものに見えるせいで、一時的な関係性で終わってしまいます。  

自分の周囲から、人が離れていってしまうことが繰り返されると、徐々に「人間関係は短期的に終わるものだ」ということを想定して行動するようになり、ますます破綻を招く──そうして孤独感を募らせていくようです。誰も自分のことを理解してくれない、と。  

他人に共感できない人間なのだということが周囲に知られたら「あいつは危険だ」と思われ、ますます孤立を招きかねません。カミングアウトするのも難しいのでしょう。

 


こういう説明を読むと、彼らは憐れむべき、同情すべき人間なのかな、と錯覚してしまいそうですが、 そういう孤独を作っているのが、まさに自分自身の<自分勝手な心>が原因なのですから、自己反省して、その自分勝手さを改めるしか、この重い病を治す方法は無いのです。


 


勇気を持って、自分のエゴと対決し、それを脱却しないといけない。


 


仏教で教わる<無我の教え>は、そうした自己中、エゴの心を離れるために、もっとも優れた教えといっていいのではないでしょうか。


 


 




ブログパーツ
【関連する記事】
posted by ガンレオ at 15:03 | Comment(1) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
侵入してきた仏敵は、迎撃して撃ち落とす!!

当然の正当防衛ですね(笑)。


コバエがホイホイでも十分かもしれんね。
霊的に言ったら、ぽん吉は蠅の王の眷属なんだろうから。
言葉づかいの下品さがソックリやしねー。
Posted by レオ at 2017年02月24日 15:09
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。