2017年02月19日

【レオ】自作は1時間、コピペは1分、その差にあるのは<自助努力>

なんども書いていますが、

自分で記事を書いたら、誤字脱字のチェックや校正も含めて、一記事あたり1時間くらいはかかるのが普通でしょう。それだけの自助努力があって、初めて自作の記事というものは出来あがる。

一方で、ネットにころがる既出の記事を、拾ってコピペするのにかかる時間は、1分もかからない。
自助努力などと呼べるレベルの労力はまったくかからずに、誰でも即席ラーメンのように簡単に出来てしまう。
それが「コピペ」と呼ばれる作業ですね。


わたしも、コピペを使いはしますが、それが中心になることは当然ありません。サブであり、補助的な紹介記事にすぎませんよ。
あくまでも、自分が学び、自分が考えたことを、自分の言葉で語らないと意味がない。
そう考えているからですが。

コピペ情報は、重要な速報を伝えるものではあっても、所詮はどこか他のサイトやブログで誰かが書いた、誰か別の人の作品です。
紹介の意義はあっても、自分の努力とは言い難い。だから出来れば、紹介しつつも、オリジナルサイトに誘導して読んでもらうのが、紹介の本義というか、本来の在り方でしょう。

それも、たまのコピペならともかく、毎日山のようにコピペしまくりでは、どういう神経をしているのか?と疑わざるを得ません。
丸ごとコピペしてしまって、ぜんぶ自分のところで読んで済ましてもらう、なんてのは、他人の努力を横取りして搾取する「盗っ人行為」に等しいもので、仏教で戒める「不偸盗」にすら相当するかもしれない。

だから、自分で書かないようでは話にならん。というのが、わたしの意見です。

他人の記事のコピペばかりしている人は、他人の褌で相撲を取ろうとしているだけの、完全他力依存の、自助努力を欠いた人間に自分がなっていないかどうか。反省したらよろしい。

自助努力しているかどうかは、その作業を繰り返してきた結果として、自身の能力が上がる、という結果を得ているかどうかを見れば、わかります。

自助努力がないところには、自身の成長がありません。
いつまでも他人におんぶにだっこで、誰かに代弁してもらっていたら、自分の言葉で語ることなど、永久に出来るわけがないのでね。

総裁先生の、つぎのような言葉がありますからね。(「宗教のすすめ」より)



「いかに分かりやすく、簡潔に伝えられるか」ということが、ある意味で、みなさんの悟りがどれだけ進んだかということと関係します。
「幸福の科学の本をたくさん読めば、分かるようになります」と言うだけでは、十分ではありません。
みなさん自身の言葉で、伝えることが出来なければいけないのです



他人の書いたものをコピペして、これを読めばわかります、これが情報です、とやるだけでは、どこに「みなさん自身の言葉」があるでしょう?

やはり、何かの情報を聞いたり、本を読んだりした結果、その学びを、自分の言葉でもって語るところにこそ、自分自身の学びの成果は表れるのだ。
ニュースを読んでも、まるごとコピペばかりで、そのニュースに関して自分としては、どう思うのか。独自の感想を語れなければ、読んだ意味すら無い。
だから努力して、自分自身の言葉でもって、やはり語らなくてはならない。いつまでも他人におんぶに抱っこでは、どこに自分自身の修行があるのだろうか。

そう、言わざるを得ないと思うのです。




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posted by ガンレオ at 08:26 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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