2017年02月15日

【レオ】幸福の科学信者ブログについて考える その2 <2016-09-10の記事>

といっても、すでにこういったテーマで記事を書いたこと何度もあるので、今さら改めて新規な視点が出せるわけでもないんですけど … 、

在家信者の行動の一端として、こうしたものがあってもいいんじゃないか、くらいのスタンスでやれば、別に大仰に考える必要はないと、わたしは思うんですけどね。

近刊の総裁先生のご著書で、スマホやネットの危険性に関してお話があるとのことなので、この危険性については重々注意して、ネット依存の度が過ぎてはいけないとは思いますが、
まぁ一部、在家信者の中には、こういったブログ発信によって、当会情報を発信してみるとか、そういうものがあってもいいとはやはり思います。
なにも全員がやるべき、などと言っているわけではないし、この方面で何か役に立てることがあると思えるなら、その人はその信念のままにやればいい、と私は考えます。適材適所はここでも有り得ると思いますので。

むろん、幸福の科学および幸福実現党の名を出して、信者ブログ、党員ブログを書くのなら、発言内容にもそれ相応の責任が生じるのは当然だし、本部のチェックを受けずに自由にアップできるからといって、好き勝手でデタラメな発言をして許されるわけがありません。

幸福の科学という団体はきわめて自由な教団であって、基本は所属している各人の自由選択によって、各行事の参加なりお布施なりをすることが許されている、寛容かつ自由な雰囲気をもった自由教団だと思います。
とはいっても、その自由には責任が伴うというのが、幸福の科学においては当初より基本的な精神として語られていたことですから、在家信者が自由にブログを作り、自由な発言をするといっても、信者を名乗る以上、幸福の科学の教えを捻じ曲げ、改悪して逆宣伝をしたり、滅茶苦茶な解説をしたりするようでは言語道断。マイナス行為を行なうブログがあったら、その霊的責任は当然甚大なものになるはずで、それはいずれ、その人個人が死後、みずから独りで担うことになるでしょう。

哲学者カントは霊言の中で、つぎのように述べていました。



いろいろな考え方を、万人が発信できるわけです。
私もよく分かりませんが、今、インターネットとかいう世界では、各人が「出版社の機能」を持っているような、あるいは「言論人の機能」を持っているような、そういう情報発信ができるようになってますよね。
私たちの時代から見れば、一般人の言論などというのは、ほとんど無価値に近い、隣近所での話にしかすぎないような内容です。そういうものが堂々とほかの言論と一緒になって混ざってくるなかで、真偽を見極めるというのは、とても難しいことではないかと思います。




個人が好き勝手に情報をアップできる、というインターネットの世界ではありますが、それゆえそこには当然、読む値打の全く無い、無価値の発信内容も多いし、あるいは個人の愚痴や不平不満でしかない、害悪の垂れ流し発言でしかないものも多いわけであって、玉石混交といっても、玉は滅多に含まれているはずがなく、圧倒的に多いのはただの石ころ。読む値打もない一般人の言論にすぎない。まさにカント先生の指摘している通りだと思います。

そうした中で、情報発信をするのなら、幸福の科学の信者としては、出来うる限り、玉に近づくべく頑張っている、そうした内容に向けて常に努力精進して、そうした良質の内容をこそ発信すべきだと思います。それは当然の責任だと思います。
それが出来ないのなら、むしろ黙っていた方がいいし、ネットの大海に余計な石ころを増やすだけの行為は無意味でしかないでしょう。

とはいってもネットの世界はすでに存在してしまっていて、これは世界中の人がアップし続けることをやめない限り、これからもずっと多くの石ころが毎日限りなくあがってくるはずで、そこで本当に知る価値のあるモノのみを選択する、良質のもののみに触れて、あとは無視する。こういう道を選ぶしかないようにも思えてきます。あとは完全に縁を切るかですけどね。関わるのなら、情報の取捨選択能力と、時間配分の出来る意志が必要でしょう。
ネットに散乱する無数のデータを眺めつつ、それらの真偽をきびしく見極める目をもって対応するしかない、そして無駄な時間は出来る限りカットする。必要最小限の時間以外はネットに取られないようにする。そうした努力と工夫なくして、振り回されず利用することなど出来ようはずもありませんから。

その判定の自信がなければ、ネットなどには一切かかわらず、著名な人物の書いた良書をのみ信頼して読むとか、そういった安全な道を選んだ方がいいのかもしれません。

とはいえ、わたし自身はすでに自分でブログをやっている以上は、
自分自身、できうる限り、善き内容のものを発信して、読んだ人にとって精神的なプラスになるようなものを書けたらな、と思って、これからも書き続けるつもりでいるんですけどね。
書き手としたら、読者が読んで、時間の無駄にしかならないような愚劣なものは書いてはいけない。読んでためになるもの、有益なものを厳選して書く努力をすればよい。それ以外にない。
だから、幸福の科学にとって、善き宣伝になるようなものが書けたらいいな、と思って、ブログを書く。
一在家信者のブログにすぎないけれども、幸福の科学で学んでいる人間としての発言として、内容的におかしくないもの、信者として恥じないような発言内容、学んで得たと信じていること。そういったものを、自分個人の責任において発信していくしかありません。

その内容が、幸福の科学にとってマイナスになるような内容であったら、多くの信者さんから忠告や警告が来るだろうし、あまりにそうした苦情が多い場合はブログを畳んでおとなしくしていた方が良いでしょうしね。
そうでない限りは、教団にマイナスのイメージを与えるのではなく、幸福の科学の一信者の意見として、そんな意見があってもおかしくはないな、確かにそうだ、と賛同してもらえる信者の読者が多ければ、それはそれで、別に存在意義があると解釈してもいいと思いますけどね。

内容の良し悪しは、多くの信者さんの判定によって自然となされるでしょう。善い内容なら人気が出るでしょうし、つまらなければ流行らず廃れる。悪質なものは通報されて問題視され、どのみち、まともな信者からは相手にされなくなる。そうしたものが害悪を流す場合は問題ですが、これは誰もが勝手に発信できてしまうネットシステムそのものに伴う問題ですから、それはそれで対処するしかない。
マイナスの事例が出るからといって、プラスの可能性を捨てるのは、包丁は危険だから、わたしは料理は素手でやる、と考えるようなもので、正しい判断だとは私は思いません。

などなど、いろいろと考えるべきことはありますが、一般論として … 、
信者を名乗る以上、自由な発言にともなう責任はありますが、だからといって、あまりに過大な要求を一ブログに求めるのは問題ありでしょうしね。
一般の人たちが自由にブログをやっているものと比べて、内容的に見劣りするブログでしょうか。ふつうの目で見て、なかなか良い内容が多いブログだ、ということであれば、それは努力のたまもので、善い評価を与えてもらってもおかしくはないはずですしね。ブログを封鎖する必要まではないと思います。
逆に、こうしたものは全く要らない、となったら、自由の気風に反するようにも思えますしね。

まぁー総裁先生のお話をまだ拝聴していないので、早急な判断は出来ませんが、いまのところの私はブログに関して、ネットに関わることに関しては、そんなスタンスで接していますけれども。

記事を書く際に参考にするのは、ネット情報ではなくて、実際に手に取って読んだ本の感想が多いはずなので、ネットに振り回されて、ネット依存になっているとまでは思わないですし。
そもそも、ネット情報だけに依存して何かを書いても、そのネタは月並みで、誰もがすぐに発見できるような元ネタにしか過ぎないですから、よほど鋭い洞察力なり見識でもって感想記事などが書けるだけの腕前がなければ、魅力的な記事など書けようはずもないと思うので。

それ以前の、何の加工処理もされてないネット情報のコピペばかりでは、単なる情報伝達に過ぎず、大した魅力はない。
というか、そこには個性の刻印がないので面白くない。付加価値が感じられないので、単なる複製情報を読むくらいなら、オリジナルサイトを見れば済む話ですから、わたしとしては自分で書いてこそのブログだと思ってますけどね。

自分がいま学んでいる本を題材にして取り上げ、テーマ設定も自分で行ない、その論点で記事を書くからこそ、その記事には個性の刻印がなされていると、わたしは思うんですよね。

その記事がアップされるまで、今日なぜ、その記事テーマがブログにアップされたのか、読んでいる人にはわからないだろうし、予想外のネタのことも多いでしょう。
なぜそうなるかといったら、たまたまその日、わたし個人が読んでいた本がその本だったからで、今日のこの日に、この題材でこの記事を書く、というところに、わたしレオという個人の個性的なるブログであることの意義があると、わたしは思うのです。

個性的なブログ発信をする人が増えることは、信者がどのように物事を考え、判断する人たちであるのか、そのサンプルデータを多数、世の中に提供するという点でも、意味があることと思います。

大勢の信者、むろんそれは、まともな信者という意味ですが、正しき心の探究を日々なしており、その学びや理解力のつたなさはあろうとも、公式サイトの発言には見劣りがしようとも、現在進行形で学んでいる在家信者のさまざまな姿が、色とりどりに発信される場があってもいいのではないでしょうかね。

ネットを見ているのは、信者か信者でないかは関係なく、いまではかなり多くの人が見ているわけですから、そこに、まともな信者側からの発信内容、それも善き内容のモノが複数存在する必要もあるのではないか。とも思います。

あらゆるところに幸福の科学への関心を誘うためのキッカケが、網の目のように張り巡らされていってよいのではないか。ブログはそうしたキッカケの、とある一つの手法という目で見て、これからいっそう魅力的な磁場を有志が作り上げていけばいいんじゃないかな、と考えているんですけどね。
賛同してもらえる方は、レオのブログを読んでくれているのでしょうし、そんなのどうでもいいという人は、まったく別の世界で生きていってるのでしょうから、それはそれで各信者の自由ということで、いいのではないかなと考えるものです。


 … おしまい。



関連過去記事
幸福の科学信者ブログについて考える
http://ameblo.jp/space-people/entry-11987945262.html




ブログパーツ
【関連する記事】
posted by ガンレオ at 07:46 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。