2017年02月08日

【レオ】厳父慈母 〜やさしさ8割、厳しさ2割、の人となる〜

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厳父慈母、という言葉がある。
むかしの家では、こういうタイプが多かったのではないだろうか。

厳格な父親とやさしい母親。厳しさとやさしさを、両親のそれぞれが担っている、という関係。

父は厳しいが、母はやさしく、子供を見守り、育ててゆく。

これは、主が教えてくれている、優しさ8割、厳しさ2割、という人生の奥義にも合致していて、このバランスのもとでこそ、人は健全に、魂を成長させることが出来るように思う。

 

近頃では、この反対に、慈父厳母、という家もけっこうあるように思う。

わたしの知り合いにも、こういう家はあって、そこでは、お父さんはひじょうに優しくて、子供を怒ったり叱ったりはまずしない。しかし、お母さんが厳しいのである。厳しく子供を叱って教導している。

これは役割分担が、厳父慈母とは正反対になっているだけで、同じことだろう。片方が厳しければ、片方はやさしい、というのは、子供を育てる両親の役割分担としては、ひじょうに大切だと思われる。

 

 

厳父厳母、なんて家もありますが、父も厳しい、母も厳しい、なんて家では、子供は窮屈に感じて、家を早々に飛び出してしまうかもしれませんね。

やさしさを知らない家庭で育ったら、その子はぐれてしまうかもしれない。優しさを知らずに育ってしまって、その子自身、他の人への優しさを持たない人間になってしまうかもしれない。

あるいは、両親を反面教師として学び、逆に、他の人に優しい人間になることもあり得るけれど。ぐれてしまう可能性が、わりと高いのではないだろうか。

 

あるいは、慈父慈母ですね。

両親とも優しいのは結構だけれども、優しいばかりで、子供が悪さをしても、まったく叱ることもないような家では、子供は放縦のままに育って、ワガママなボンボンになる可能性が出てきますね。実際、そういう家庭は、現代では多いように思う。

 

慈 … 慈しみ、という言葉が当てられているけれども、この「慈」というのは、決して叱らない、怒らない、優しさだけの思いとは、違うのではないかと、今では思います。

 

仏教でいう慈悲というのは、仏があまねく、すべての生命に対して抱かれている優しい、育みの心かと思うけれど、そこにはなおかつ、厳しい眼も含まれているのではないかと思うのです。

仏が、人間に対して思っているのは、すべての生命を平等にあまねく愛しながらも、彼らの自己責任をも問う「厳しさ」が、そこにはある。

仏は、その慈悲の中に、厳父慈母の両方の思いを体現していて、人をやさしく見守りながらも、厳しく叱る父親のような眼でもっても、見ているに違いありません。

 

人は、やさしくされたら嬉しいけれども、やさしくされるだけだと、甘えてしまってダメな人間になりかねません。厳しくされないと、脇が甘くなってしまう危険性がある。だから、道を踏み外したら、厳しく折檻する父親のような厳しさも、ときには受けないといけない。

 

優しさ8割、厳しさ2割という、仏の教えは、人が健全に成長していくための、慈悲の世界そのものでもあるのだと、わたしは思います。

 

塾で講師をしていた時に、

やたらと厳しい先生がいましたが、その先生が来ると、生徒たちは緊張してシーンと静かになるんですよね。授業を聞いているあいだも私語は禁止。しゃべったりしたら大声で怒鳴られる。

でも、そんな緊張しまくりの、ピリピリした授業では、生徒たちは息が詰まるだろうし、その先生の科目自体を、嫌いになるかもしれません。

厳しさ2割どころか、厳しさ10割なので、これは、仏法真理に適ってない、教育の在り方なのだろうと、今では思います。

 

一方では、優しいだけの授業でもダメなんですよね。先生が怒らないで、優しい人だとなると、子供はつけあがるものです。ワイワイガヤガヤ、授業になっても落ち着かなかったりする。

優しい先生はこうした時に、ビシッと怒ることが出来なかったりしますが、それもまた欠点だと、わたしは思うのですね。優しいことは大切だけれども、教え子たちが道理をわきまえない行動を取った場合には、厳しく叱るのでなくてはならない。

 

わたしはどのような講師だったかというと、

それは基本は、優しい先生です(笑)。自称ではなく、他の先生からも言われるし、生徒たちからも言われたので、実際そうだったんですが。

ただそれでも、厳しくなる時には叱りましたよ。

体罰禁止と言われていたけれども、言うこと聞かずに騒いでる生徒がいたら、教科書で頭をはたいたしねー(笑)。

生意気な生徒の場合は、ドアから出ていけ。二度とこの塾に来なくて構わん!とまでいって説教した生徒もいましたが。そこまで叱ると、さすがにシュンとして、それ以降その生徒は授業の邪魔はしなくなりました。

面白いのは、生意気な発言をする生徒を叱ると、逆に、他の生徒からは、先生がよく言ってくれたといって感心され、他の生意気な生徒も、わりと従順になることでした。そのへんは、まだ子供なので、わりと可愛いところがあります。本音はどうだったかは、わかりませんが(笑)。

少なくとも、授業を任されている以上は、授業そのものを理想形に持っていくのが先生の使命であって、暴言を吐いたり生意気な発言をする生徒、あるいはガヤガヤうるさい生徒を放置していて、叱ることも出来ない、はたくことも出来ないでは、まともな授業など出来ようはずもない。

怒られることがないとわかっていたら、そういう生徒を自重させる力はゼロ、ってことになりますからね。収拾がつきません。体罰はいけないと言われようが、頭をはたくくらいはやっていいと私は思いますけどね。それでクビにするなら、すればいい。クビが怖くて講師が出来るか!です。

自己保身を第一にしたら、なんにも出来なくなりますが、いざとなったらいつでも自分を捨てられると思えば、子供の教育第一に考え、なにをすべきかという理想の教育に邁進できるはずだと、わたしは思います。

 

要は、教育の現場であっても、家庭であっても、厳父慈母ならぬ、厳しさと優しさの両面を体現することが必要、ということでしょう。

そして、あくまでも優しさが基本であり、これが8割、優しい人間になることが、とても大切。とてもとても大切なんだと思う。

けれども、残りの2割には、厳しく叱るような、厳しさ2割の人格も必要なんだと、やはり思います。

 

ひとりの人格、自分の中に、優しさ8割、厳しさ2割の人格を兼ね備えること。それが理想ではあるまいか。

そう、思うのです。

 

 

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posted by ガンレオ at 06:27 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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