2017年01月25日

【レオ】今月はやたらと長〜く感じる 〜密度の濃い時間は、体感時間を長く感じさせるのだろうか〜

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子供のころの<一年>というのは、ひじょうに長く感じたものだ。

ところが大人になると、あっと言う間に<一年>が過ぎてゆく。大晦日を過ぎたと思ったら、あっという間に、つぎの大晦日がやってきたりする。そんな気がしないでしょうか?(笑)

子供の時には、一か月という期間でさえ、けっこうな長さに感じたものだし、40日ほどの夏休みはそれこそ、とっても長いお休み期間に思えたものです。
ところが大人になってみると、ひと月、ふた月、三カ月、などという期間が、アッと思う間もなく過ぎていってしまう。光陰矢の如し。本当に不思議です。時間感覚というものは。
ひと月くらいの時間しか経ってないような気がするのに、カレンダーを見たら確かにもう三カ月が過ぎている。
歳を取れば取るほど、時間の体感速度は速くなっているような気がする。


でも、それは本当でしょうか?


というのは、今月のわたしは、いつにもまして、長い時間を生きているような気がするからですね。
いつもと逆で、光陰矢の如しではなくて、飛んでる矢は止まっている、ではありませんが、ゼノンのパラドックスのようなものです。
というか、もう三カ月も経ったような気がするのに、まだひと月すら過ぎていない、という、いつもの逆の時間感覚の中を生きている気がするんですよね。
これは何故だろうか。


と考えるに、どうやら、今月はいつもと違ったことを新たに初めてチャレンジしている。そういう月だからだな、ということに気づきます。
どうやら、新しいことを毎日毎日いろいろと覚えたり、挑戦したりしないといけない時は、年齢が行ってようがそんなことにはおかまいなく、時間を体感する速度、感覚的な時間速度が遅くなる、というか。

密度が濃い時間を生きているので、その期間の時間を<長く>感じている、ということではないかと思うのです。言い換えれば、充実した時間を生きていたり、新たな経験をいっぱいした時というのは、ひじょうに色々な体験をしている気分になっているので、長い時間を生きているように<感じる>ということではないか、と思うのです。
わずか一週間であっても、楽しかった海外旅行の思い出は、充実した時間体験として、記憶に強く深く残っていたりしませんか?

人は、漫然と時間を過ごしてしまって、新たなことにチャレンジしない、いつもと同じような代わり映えのない、刺激のない、たとえば慣れた仕事を機械的にこなすとか、同じような日常を淡々と過ごしてゆくだけになると、あっという間に時間が過ぎていくように感じるようですね。わたしはそう思うのですが。
毎日、なんの大変さも感じることなく、同じように日常をおくる、仕事も無難にそつなくこなす、慣れている業務をこなすだけで勤務時間が過ぎる、という繰り返しをしていると、
それは平和な毎日であっても、新たな苦労や刺激が足りない、そういう時間であるでしょう。そうすると、特に精神が緊張することもなく、新たな刺激も受けることが少ないので、大して頭が刺激されない、淡々と過ぎていってしまうので、それこそ体感時間も淡々と、あっという間に過ぎていってしまうように感じている。
光陰矢の如し。

10代のころは、一年というのは非常に長く感じたものであり、20代もまた、それなりに一年一年が長く感じられてはずで、20代の10年間はとっても長い青春時代だったように、今では思いますが、
その後の年代はそれこそ、加速度的に、あっという間に10年20年と過ぎていったように感じないでしょうか。年配の人はわかると思いますが。

これは、年齢が上がっていって人生経験が豊富となり、新たなことを毎日毎日覚えていかなくてはいけない、という子供時代や青春時代のような、新たな発見の喜びが、年齢とともに減っていっているからではないか。
人生に<慣れ>てしまい、日々を気楽に生きられるようになるのはいいが、新たなことを学んだり、チャレンジしたり、苦労して覚えたり、そういう挑戦的な生き方をだんだんしなくなる。
楽な道を選んで、気楽に生きたいようになってゆくと、年月はそれこそドンドンあっという間に過ぎてゆく。
そんな感じがしますね。

年老いてもなお、今年は新たなことにチャレンジしてみよう。この資格を取るために、研修を受けてみよう、学校に通ってみよう、なんてことに取り組むと、その新たな挑戦時間は、いろいろと学ぶことが毎日あるので、ひじょうに充実した、長い時間を生きているような錯覚を、その人に与えるのだと思います。
充実した時間を生きているので、そのひと月は長く感じる。ひじょうに有意義な、今まで知らなかった経験をたくさんすることの出来た一か月であった。その時間の体感速度は、そのひと月を、1カ月の長さではなく、三か月かそれ以上の長さの時間が、ぎゅっと凝縮されて詰まったような、そんな充実した時間を人に与えてくれるのではないか。

だから、客観的な時間が正しいとは限らないのだと思います。主観的な、体感時間の方が、むしろその人にとっての、本当の時間なのかもしれない。
それは、有意義な時間を生きるということ。密度の濃い時間を生きるということ。新たなことにチャレンジすることを忘れずに、歳をとってもなお、そういう時間をみずから持とうと頑張るような、そういう生き方をしてみること。

人生の時間とは、どれだけ有意義な時間を過ごしたか、ということにこそあって、
単に客観的な、時計で測れるような年月や年齢に、それほど意味があるわけではない。
大切なのは、その時間をどれだけ有意義に、充実した時間として、あなたは生かすことが出来たのか。
新たな学びはあったろうか、誰かのために生きる時間を持てただろうか。

充実した時間。密度の濃い時間を生きる、ということ。これが大事だと、ふと思ったのでした。

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posted by ガンレオ at 06:23 | Comment(2) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
レオさんもーーー。

レオさんも、今月やたら長く感じますか。

自分も、2017年1月は、やたら、

長く感じます。

去年は、あっという間だと思ったけどね。

実は、今年初めに、〇〇〇〇の祈りを、

受けたんでそのせいかと思ったんだけどね。

もしかして、その影響が、

レオさんにも、・・・笑い
Posted by 英 at 2017年01月25日 08:55
もう三ヶ月くらい過ぎたような気がするくらいなのに、
まだひと月も経たないんだよねー。不思議というか、長すぎ!今月は!

って感じ〜。
Posted by レオ at 2017年01月25日 11:09
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