2017年01月19日

【レオ】紙媒体か、人間の記憶力か? 「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」感想3

もうすぐ絶滅するという紙の書物について -
もうすぐ絶滅するという紙の書物について -



C:‥ですが、フィルタリングなしで、ありとあらゆる情報が入手可能になり、端末を使えばなんでもいくらでも知ることができるようになった現在、記憶とはいったい何でしょうか。記憶という言葉は何を意味するのでしょう。電子召使いみたいなのがそばにいて、言葉で発した質問や、言葉にならない疑問に答えてくれるようになったら、私たちが知るべきことは何でしょうか。義肢的な存在が何でも知っているとしたら、それでも我々が習得しなければならないこととは何でしょうか。

E:‥考えをまとめて結論を導く技術ですよ。

C:‥そうです。そして習得するという行為そのものです。というのも、覚えたり学んだりということ自体、学ばないと身につかないものなんです。




遥か昔には、紙の書物に記録を遺す、ということすら出来ない時代が長く続いていた。
そういう時代には、口承・口伝によって伝えてゆくしかなかった … 。

そのため、仏陀の説法は、直説金口の記録としては残っていない。口伝えによって伝えられた、本来の教えのほんの一部が、上座部などの文献に後代になってようやく、紙媒体に記録されて、今に伝わっているものの、
当時の仏陀の説法そのものがいかなるものであったか、それを言葉そのままを再現した形では、知ることは出来ない。
仏陀の再誕であられる大川隆法先生が語る、仏陀の記憶そのものからひっぱり出した再現法話を聴けば、知ることが出来るんですけどね(笑)。

いずれにしても、ホメ―ロスの「イーリアス」や「オデュッセイア―」、遥か昔の神話・伝説の類は、その殆どが口伝の伝承を、後代になって紙媒体に書き写したもの … 。
紙媒体に転写できるようになったお蔭で、一文字一句、再現して、のちのちの時代の人であっても、その内容を知ることが出来るようになった。
紙媒体というのは、それゆえ、いくら有難いと感謝しても、し足りないほどの、画期的な発明であり、文明の基そのものでもあったのだと、わたしは思います。
紙に限らず、粘土板などの記録文もそうですけどね。要するに、文字として記録に遺せる媒体、ということです。

しかし、こうした記録メディアの発達は、その有難さの反面として、人間の記憶力を低下させる、記憶力の鍛錬というものをなおざりにさせる、という弊害もあるようです。

記録に安心したので、もう安心だ。記憶してなくても、記録書をひっぱり出せば、いつでも確認できるとなると、人は真剣になって記憶しようなどとは思わなくなる。
紙に記録し、電子媒体に覚えておいてもらえば、自分の脳味噌は覚えていなくてもいい、なんて考えてしまうようになる。

はるか古代にはこの反対で、記録が出来ないからこそ、人は真剣に覚えざるを得ないし、それがまた記憶力の鍛錬ともなって、たとえばインドの人たちはものすごく記憶力がよかったといいますね。記憶力が良かったからこそ、数百年のあいだの口伝伝承であっても、そんなに内容が変質してしまうこともなく、結構そのまま伝わったりも出来たのでしょう。
いまは、伝言ゲームをやった人はわかるでしょうが、10人にも伝わらないうちに、元の内容はどこへ行ってしまったのか、というくらい内容が変質してしまうなんてことは普通のことですから、口伝えというものは現代ほど不向きな時代はないでしょう。

記録メディアが発達した半面で、人の記憶力が低下してしまうのだとしたら … ?

あるいは、そうしたメディアが記録してくれるから、人間が記憶する必要はないのだ、と本当にそう考えていいのだろうか?と反省して考えてみると、

そうではない、というわけですね。この書籍の対談者たちが考えるには。

記録メディアがデータを保存して、さまざまな記録を保持してくれているからいいのだ、ではない、ということ。
あくまでも、人間が主体となって、記憶する努力を避けてはいけないのだと。



 … それでも我々が習得しなければならないこととは何でしょうか。

E:‥考えをまとめて結論を導く技術ですよ。

C:‥そうです。そして習得するという行為そのものです。というのも、覚えたり学んだりということ自体、学ばないと身につかないものなんです。




コンピュータや端末、あるいは、書籍や百科事典、その他の記録媒体から様々な情報を採り出せたとしても、
それらを見比べて、さまざまな考察を加え、総合して結論を見つけ出すこと。
そうした<人間の思索力>、<結論を導く力>は、人間が自己鍛錬する以外に鍛えようがない。自分で努力して、学問をして、さまざまなことを覚え、学習して、考える力を見につけないと、機械が考えてくれるわけではありませんし、図書館が人生の問題の答えを出してくれるわけでもないのですから。
コンピュータや電子端末は、データを引き出すことは出来ても、人間的思考が出来る存在ではないし、人生の謎に答えを出してくれることはない。これから先の未来でも<不可能>でしょう。
サンプル一覧を提示することは出来ても、世界で唯一の存在である、その人自身の求める答えは、その人自身の魂がみずから求めて探し求めるしかない。それが宇宙の真理、永遠の真理ではないかと、わたしは思います。

また人間が自らの力で記憶することの大切さは、その過程の中にこそ、自らの魂の力を高めるという役割があるからでしょう。
記憶することをサボって、すべて機械任せ、記録任せにしてしまって、自分では何ひとつ新たに覚えようとしない人は、その怠けた行き方そのものが、その人の記憶力を低下させて、思考力をも低下させるに違いない。

楽だからといって、まったく歩くこともしないで、エレベーターやエスカレーターに乗り、車に乗り、電車に乗り、足を使わなくなれば、筋力が衰えてゆくのと同じこと。
鍛錬をしなくなれば、筋力が弱ってゆくように、頭脳も使わなければ衰えてゆく。鍛えることで能力は上がってゆく。さぼれば衰える。それは普遍の法則でしょう。

というわけで、いくら記録媒体が発達しようとも、コンピュータがどれほど優れものになろうとも、そこに依存しすぎてはいけない。
自分の頭を鍛えるということは、それらを利用する行為とは、質的に意味の違った行為なのだということ。それを忘れてはいけないのだと、わたしは思います。


 … つづく。




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posted by ガンレオ at 09:39 | Comment(1) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たしか。

漫画家手塚治虫氏の火の鳥未来編だったか。

人間は、判断業務とかを全て機械にまかせっきり

にしたあげく、

コンピュターの判断で、

全面戦争がおきたというアニメがあったなあ。

もしくは、直近でいえば、

ロボット対人間ね。

Posted by 英 at 2017年01月19日 12:34
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