2016年11月26日

【レオ】三宝帰依を破る者(P&P) その2

*「三宝帰依を破る者(P&P)」が、レオブログ内の記事ランキング1位になりました!!
ということで、それにちなんでパート2を書きます!!



大宇宙の根本神を信じます、天上界の高級霊を信じます、過去の偉人を尊敬します、といくら理屈を並べて、自分の信仰を正当化したとしても、
<同時代に仏陀やキリストが肉体をもって降臨している場合>
地上に降りた現成の仏陀を信じざる者は、もはや信仰ある者とは言えない。

と教わってますね。

なぜなら、地上に降りられた仏さま、神さま、すなわち仏神の化身である方を信じない、理解しない、ということは、
その人には、神を正しく認識し信じる力が足りていない、その人の持っている神概念は、その仏神の化身の方を、その方であると信じるだけの概念を持っていない、ということでしょうから。

法縁にめぐまれず、仏陀降臨を知るチャンスが得られず、そのまま亡くなってしまった人は別としても、
一度は仏陀降臨を認知しておりながら、それを後に否定した人の場合は、この言い訳はまったく通用しなくなりますね。
知らなかった、では済まされず、知りながら否定した、ということになるからです。


そういう人が信仰を裏切って後、神は別にある、この人はニセモノである、本当の神は〜〜うんぬん、などと幾ら理屈を並べたとしても、

え、あなたの言う神定義って、そんなに立派なものなんですか?
神の定義を出来るほど賢いというほどに、自分の見識に自信があるのでしょうか?
あなたの言う神概念は、そんなに最高度の認識なのですか、だったら貴方自身が世界宗教の開祖になれないとおかしいですね?

 … と突っ込みを入れざるを得ないですしね。
あなたを仏陀である、キリストであると信じます、といって誓っておりながら、
そうした大切な誓いをあっさりと捨てて、間違っていた、仏陀じゃなかった、キリストじゃなかったといって、
やっぱり古典仏教の仏陀でいいや、福音書の山上の垂訓がイエスの言葉だ、新興宗教は怪しいからやーめた、なんて言ってるようでは、その人の信じている歴史上の仏陀、イエスさまへの帰依と信仰も、怪しいもんです。


現成の仏陀に帰依するのが、三宝帰依の精神だと思いますが、

一度、この方に帰依します、三宝に帰依します、と誓っておきながら、その帰依の心を捨てて野に下り、あろうことか仏・法・僧を誹謗中傷するに到っては、何をか言わんや、でしょう。

イエス様をその人(救世主)であると信じていながら、その信仰を捨て裏切ったユダとどこが違うというのだろうか。やっていることは同じどころか、むしろもっと悪いのではないかと思いますけどね。
同時代におられたイエスさまを、主であると一度は信じ、付き従いながら、それを裏切ってイエスさまを売ったからこそ、ユダは多くのキリスト教徒から憎まれているわけでしょう。
許すべからざる、主を売った悪人ということで。

仏陀である、救世主である、と一度は信じて認めた人間が、それを否定して裏切るから、退転、なんでしょう。

いまだその人を仏であることに気づいていない、救世主であるということに気づいていない、いまだ永遠の真理に気づいていない人が、無知ゆえに、仏や救世主を悪く言うのは、過ちであるかもしれないけれど、確信犯的なものでもなかろうし、裏切りのユダとは違いますね。
まだ誓ったことがないのだから、裏切りではない。まだ信じていない、というだけのことに過ぎませんから。

しかし、かつて信じた師を裏切って誹謗したり、帰依した三宝の全てを否定し誹謗する者は、明らかに裏切りであり、裏切りのユダ的な悪行ですね。
三宝誹謗をして地獄に堕ちないというのなら、誰が地獄に堕ちるというのだろうか。わたしが思うに、地獄の最深部に堕ちるのは必定だろうと思います。阿鼻叫喚地獄、避け難し、でしょうね。そう思います。(ぽん吉とピア健はコレに相当する罪を犯しているわけですよ、現状ね。)

その人を仏であると信じ、その法を信じます、サンガに帰依します、と誓ったのは、他ならぬその人自身の意志と決断であったはず。

ならば、それを捨てたのも当人の意志と決断であるはずで、その判断が間違っていた場合、しかも最も尊いものを見誤って、誹謗中傷したというのなら、その責任の重さはいかばかりか。言うまでもないことでしょう。

その人をもはや仏であるとは思っていない、法とは思っていない、サンガを尊い存在などと思っていない、だから自分にとっては三宝ではない、だから辞めたと言うのだろうか。

そんな言い逃れは通用しないんだけどね。

その言葉自体が、三宝を破る者の常套句だからですよ。三宝帰依を破る者とは、まさにそうした者のことを指すんです。
もともと信仰にまだ出会っていない人間が捨てるのではなく、
自分で選んだ三宝を、かつては信じていたのに、その信仰を捨てる。
三宝帰依を破る者とは、自分の意志で帰依した三宝を、のちになって裏切る者のことなんですから。

現成の仏陀であると、かつての自分は信じていたのに、いまでは信じないから、その三宝は自分にとっては無効であると言い逃れする人よ。

その言い分自体が、三宝を捨てた人間の、言い訳そのものであるということが、わからないのだろうか。
一度も信じたことのない人間が否定するのは、退転、とは言わない。
信じていた人間が、かつての信仰を否定するのが、退転であり、棄教というのだよ

そういう人たちが捨てた、かつての信仰の対象が、本物であったとき、
イエス様が本物であったらどうするのだろう、仏陀が本物であったらどうするのだろう、
釈尊やイエス・キリストを否定して、裏切ったユダや提婆達多の信仰論に、正当性があるわけもない。
彼らは仏神の本質を見誤り、目の前におられる仏神の化身である方を、そうではないといって否定した。信仰を捨てたのだ。そして裏切った。ゆえに死後、地獄に堕ちた。

彼らが、宇宙の根源神を自分は信じる。ヴェーダの神を信じる、ヤーウェの神を信じる、などといったって、そのヴェーダ理解、ヤーウェ信仰自体が怪しいと私は推定しますね。
目の前におられる神の使いを信じることが出来なかった、理解できなかったということは、その人の神概念が疑わしいという証明でしかないのだから。
自分に都合のいい神設定をして、わたしは神を信仰しているなどと幾ら主張したとしても、あやしいなーその信仰は、と傍からは見えてしまう。
ニーチェがキリスト教を否定して、その対抗としてツァラトゥストラはかく語りき、なんて言ったって、そのツァラトゥストラは本物のゾロアスターとは何の関係もない、ニーチェの妄想の中のニセ神でしかないのではあるまいか。

この手の退転者が、べつのところ、別の存在に、宇宙の根本神を勝手に定立したとして、そんな主張は、まったく信用するに値しない、とわたしは考えます。
その人には、神が何ものであるのかを、正しく見て、判断するだけの智慧がない、神の正しい概念を持っていないに違いないのだから、そんな人の語る神についての講釈は、単なる駄弁に過ぎないと言うしかないでしょう。

反省や感謝、敬虔さ、謙虚さ、他の人に対する真心、自分を厳しく見つめる目、そういったさまざまな徳性を心に持っておりながら、あなたは神を語っているのだろうか。
その正反対の心の中に迷いながら、勝手な神を神と崇めて、言い逃れしてはいないだろうか。自分の心の奥底に問うてみればいいのです。
自分でわからなかったとしても、上にあげた徳性は、周りにいる他人からもある程度は確認できますから、その人の信仰がいかほどのものであるかは、おのずと明らかになりますけれどね。


幸福の科学の信者である私には、すでに帰依している三宝がある。

その三宝を否定して裏切った退転者の主張する神議論など、一考の価値にも値しないと思うのは、そういう視点ゆえですね。
わたしの信じる仏さまを裏切って、その仏さまを誹謗する人間に、正しい仏神を見出す神概念など、あるはずもないなーと、わたしとしては主張します。わたしの立場からしてみればね、主エル・カンターレに一度は帰依しておりながら、その信仰を捨てた人間が、本当の神は〇〇の神だ、とか、伝統宗教に帰れ、なんて言ったとしても、アホか、としか感じませんしね(笑)。
いくら詭弁を弄し、屁理屈をつらねて御託を並べようとも、退転した人間の言い逃れにしか聞こえない。

あなたは、あなたの信じる偽者の神を信じて、生きてゆけばよいだろう。
死後どうなるか。その神が、あなたの行くべき行き先を決めてくれるに違いない。

正しい神が指し示す世界と、そうではない全く別の恐るべき世界と、どちらへ向かうかは、その人それぞれの自由意志と決断にかかっている。

そう、述べておきたいと思います。

まだ、主に出会えていない人たちに、この教えを伝えよう。

みずから裏切った人たちは、先に出会っておりながら、それを捨てた人たちなのだから、
信仰に立ち戻れるかどうかは、自分である程度判断すべきだろう。
むろん法友がそばにあれば、彼らに手をさしのべてあげてほしいと思うけれども、
すでに出会っている以上、信仰を取るか、捨てるかは、その人の自由意志だ。甘えは許されない。
信仰を選ぶか捨てるかは、一つの賭けかもしれないが、その責任を死後みずから負う覚悟を持っているというのなら、それでも構わないと思う。
当人が思っているほど甘いものではないと、わたしは推定するけれどもね。

心を善なる思いに変えてゆき、その上でさらに、仏神の御心をよく学び、己の心を正す指針としよう。そして、他の人への愛の人生を生き、仏さまの喜ばれるような、光に満ちた生涯をおくれたら、それは素晴らしい人生だと思う。

幸福の科学に集いて、主への信仰と、人々への愛に生きる人生を、生きようではありませんか。







ブログパーツ
【関連する記事】
posted by ガンレオ at 09:20 | Comment(2) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
言っておきますけどね、ピア健は自分自身を「アンチの急先鋒として注目されてる」と自画自賛してましたが、退会者の集団の中でも馬鹿にされてますからね。ぽん吉も同様です。

退会者の中には、霊現象や信者同士のいざこざに嫌気がさして辞めている人が多いので、ピア健とぽん吉は一番嫌われるタイプなんですよ。「大川隆法はルシフェル、西川〇〇はミカエルの生まれ変わり。私はビリケン。」なんて言ってますが、みんな呆れてますよ。

ぽん吉に至っては、Twitterで4000回以上ツィートしてますが、「いいね」が付いたのは「1回」です。また、フォロワー数が何千人もいるから凄く見えますが、ほとんどは得体の知れない外国人ユーザーです。ツールを使うか、お金を使ったのでしょう。コウと同じですよ。得体の知れない人とリンクを張りまくってアクセスを増やしているわけです。

4か月前、YouTubeにレオ氏などを批判する動画を上げましたが、再生回数はなんと「20回」です。いかに誰からも相手にされていないかわかるというものです。
退会したら大抵は退会者同士、仲良くするんですが、ぽん吉は2chにゴミスレッドを乱立させたり、大量に書き込みしたりしているので、退会者からも嫌われてますよ。

誰でもそうですが、退会直後は教団の悪口言いたくなるんですが、しばらくすると気が済んで止めるんですよ。で、日常生活に戻って普通の人になります。
ピア健とぽん吉みたいに延々と下品な悪口言い続ける人間は、やはり退会者から見ても病的だと思いますね。
Posted by メロンくま at 2016年11月26日 14:08
初めまして。メロンくまさん。

あなたからコメントをいただくのは初めてだし、お返事するのも初めてですが、

救国のコウのブログでは、例によってコウ独特の、根拠もない勝手な決めつけで、いろいろ言われてましたね。コメント欄をざっと読みましたので、知っています。
あれは本当、どうしようもない奴で、事実を推理・追及する論理的思考力もないアホですから、この期に及んでもまだ、ぽん吉とピア健を擁護して、こちらを非難する異常者ですしね。



ぽん吉に関しては、いくら山のようにゴミブログを量産しようとも、どれもこれもアクセスもろくに無い閑散ブログじゃ意味ないぞ、ぽん吉!と記事中で既に批判していますので、

あの連中のブログの影響力などを気にしているわけではありません。
誰からも相手にしてもらえず、しかして構ってちゃんだから、暴れることでもって注目を浴びているという妄想に浸りたいのでしょう。


幸福の科学を去ってどう生きるかは、各人の自由だと思っていますし、
辞めて後、しつこくネット上で幸福の科学および総裁先生を誹謗中傷し続けるのでなければ、別にわたしも、相手をするつもりはありませんが。
粘着質でしつこく誹謗中傷している相手が目についたら、時には切り返します。

ぽん吉とピア健に関しても、毎度相手するのは労力と時間の無駄なのでアレですが、ときどきは鉄槌を下して、叩きのめす係が幾人かは必要かと思います。
いくらキチガイだからといっても、彼らの場合は放置しからといって、飽きて撤退する、ということもないでしょうから。
まともな信者からの批判を時おり出して、ああ、あの人たちはそういう経緯でああなった人たちか、と知らしめる必要があるかと思って、たまに批判してやっています。


ぽん吉とピア健が、ほかの退会者からも総スカンを食って嫌われている、ということも、いっそう明確に周知されるとよいですね。

彼らは、信者名義の時からすでに、大して変わらない行為を行なっていたので、
むしろ脱会してくれて、幸福の科学にとっては良かったと私は思っています。
あんな異常なキチガイが信者であったら、当会にとって迷惑でしかありませんから。

退会者からしても、あれが退会者の代表のごとく主張して暴れるのは、心外至極でしょうから、そちらからも牽制してくれると、ありがたいですね。

ぽん吉とピア健の発言内容の狂いっぷりは、わざざわ個別に取り上げて、反証するのもバカバカしいほどの、妄言・虚言・妄想・たわ言でしかありませんので。

ときどき<まとめ>の形で潰しておけば、オッケーかなと考えています。
Posted by レオ at 2016年11月26日 15:36
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。