2016年11月12日

【レオ】三宝帰依を破る者(P&P)<追記文章あり>

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LEO幸福人生のすすめ、より転載
http://ameblo.jp/space-people/entry-12209076702.html

http://gunleo.seesaa.net/article/441425629.html 後半追記文より追加転載



三宝帰依は、仏・法・僧の三宝に帰依しますということで、三帰信者の基本です。

修行者の身でありながら平然として、僧(サンガ)批判をするようでは、帰依の一端が崩れており問題外ですからね。
提案があるのなら、まずは自分が実践し、お手本を見せてから、改革案を提示しサンガをいっそう素晴らしいものにするべく、自ら身を投じて努力するのが筋であって、それをせずに不平不満ばかり言ってサンガ批判をするところに正義はないし、三宝帰依の精神にそもそも反しているでしょう。
サンガより自分を上に置くくらいに思いあがっているのでしょう。

それからサンガ批判を平気でするようになると、次は、法の自分勝手な解釈に走るようになる危険性が高まりますからね。
自分にとって都合がいいところだけつまみ食いをし、都合が悪いところは興味を持たない、無関心、無視の態度に出たり、あるいは、この教えは方便だから裏を読むと本当の意味はこうだ、などといって勝手な解釈論を吹聴したりする。
オーソドックスな理解を最初から放棄して、自分に都合よく、勝手なひとりよがり解釈をするようであっては、法帰依の精神に反します
自己中心の度が過ぎて、法の解釈を自分勝手に行っていることは、法帰依ではないということに気づいていない。
法よりも、自分の判断を上に置いている。それくらい既に思いあがっているのではないでしょうか。

この時点で、三宝帰依の、法帰依、僧帰依の二つがすでに怪しいですが、当人はまだ、仏をわたしは信じていますといって、仏帰依は出来ている<つもり>でいるのでしょうが、
法を自分勝手な解釈をして平気な顔をしている時点で、法を敬う気持ちが軽いと言えるし、そうなってくると、仏ヘの帰依の方も、何かのキッカケでコロッと変わって、尊敬の念を失ったらもうアウトでしょう。

法の勝手な解釈、僧団批判を平気でするようでは、すでに仏陀の直弟子の言うことですら軽んじている段階でしょう。
それでもまだ仏陀の言にだけは従うと言うでしょうけれど、実はこの時点ですでに自分自身を仏陀に次ぐナンバー2か何かのように思いあがっているのではないでしょうかね。だから平然と、法の勝手な解釈をし、サンガを批判して憚らないでいられる。傲慢さの表れです。
そこまで己惚れているから、勝手な法解釈をして平気でいるわけで、こういう手合いが、ちょっとしたきっかけで、その仏すら疑ったら、完全にアウト。
三宝帰依の三宝すべてを否定し、軽んじて、退転するしかなくなる。

三宝帰依を否定する者は、仏・法・僧の、僧からまずは拒否し始め、次に法を軽んじ、最後には仏への帰依を捨てる。この逆側からの順番で否定してゆくのが常かと思います。

こうなるのも基本は自己責任ですからね。
自分自身に驕り高ぶり、三宝への帰依自体が、そもそも傲慢な態度で行われていたのではないでしょうか。
自分を仏陀に次ぐナンバー2であるかのように思い上がり、最後にはついに仏陀そのものをも自分の下に置き、自分がナンバー1の座に座ろうとした人間は誰であったか。
現代の提婆達多にならないように、傲慢の心は捨てないといけません。

かような歴史の教訓からしても、三宝帰依の精神を、どれだけ敬虔な気持ちでもって受け止め、自分自身をつねに謙虚にして、ひそやかなる立場に置いて、仏に正しく帰依し、法を心から尊重し、そしてまた僧団・サンガの活動に敬意を表して、決して自己中心の立場から偉そうな批判などはしないこと。
サンガを変えたいのなら、自分個人をまず光輝かせ、その光でもってサンガをさらに素晴らしいものへと率いる人間に、自らがなればよいのであって、自分を棚にあげてサンガ批判をするのでは問題外ですね。

幸福の科学の三帰信者であるということは、それだけの自覚があって<当然>だと私は思う者です。



↓ 関連記事 ↓

ぽん吉という名の邪悪アンチの正体を暴く!★★★(23項目め、新規に追加!!)
http://gunleo.seesaa.net/article/431605883.html




* 追記

幸福の科学は、自由を愛する宗教なので、入会・退会は当人の自由意志に任されていますが、

信仰を捨てて教団を去ったあとになってもなお、幸福の科学に粘着して、迷惑活動を続ける悪質アンチも多いですね。
基本、この手の粘着質な性格というのは、成仏していない証拠じゃないの?と思いますけど、特にブログ村幸福の科学カテゴリに登録していた信者としては、ここに乱入してきて迷惑発言を行なった悪質アンチは、とんでもない連中だと、わたし個人は憤りを感じます。
〇〇の観測所とか、〇〇日記とか、まぁその粘着質な性格、しつこいことこの上ない。ストーカーレベルと言って間違いがない。今となっては、ぽん吉がまさしくこの「ストーカーアンチ」そのものと言うしかありませんが。
彼らの言説は、自己正当化のためのすり替えや詭弁・誤魔化しが多いので、ハッキリ言ってまともに付き合う必要性を、わたしは感じないのですが。
最も尊い、人生観の根本であるところの信仰の道ですら、正しく判断できないで変節した人間の、いま現在の言説にどれほどの信用が置けるのだろうか。
もっとも大切な信仰ですら、自分が帰依した対象を捨て去り、それを後になって罵るような人物を、わたしたちは信用できるでしょうか。
そういう人物であっては、またいつの時にか、いまの言論とは正反対の主張に、考えを転向して憚らないかもしれません。よって、わたしはまったく信用する気が起きません。

そもそも、幸福の科学が真理の団体でないと言い張り、完全否定するのなら、それこそ完全に当会から離れて、全く無関係の世界に羽ばたいて、そこで自分独自の言行でもって、活躍してゆけばいいのだろうに。
他に真実の世界があるというのなら、その真実を掲げて、貴方がたは生きてゆけばいいだろうに。
みずから選んで立ち去ったのなら、立ち去った場所で独自に生きればいいだけの話であって、あとに残って信仰しつづけている人間の邪魔をしようなど、余計なお節介以外の何物でもありませんからね。
それどころか、信仰者の邪魔をすることでもって、洗脳を解くための善行だと言いだすに至っては、お節介どころか悪行というしかないのですが。

本当のことを言えば、洗脳を解くための善行などという摩り替え発言自体、己に言い聞かせるための自己欺瞞であって、他者への押しつけ偽善であって、
本当は、いつまでも元の所属団体に粘着し続けるのは、その団体そのものが邪まであるとの言説を広めないでは、そこを出てしまった自分の不明を正当化できないから、ではないでしょうか。
教団を否定することで、そこを出た自分の方が正しかったと言いたい心理状態
は、どこかの誰かさんと同じというか、破門者が陥っている心理状態とまったく同じなんですけどね。

しかし世界中にすでに拠点を持っている幸福の科学そのものを葬りさって、脱会した自分の方が偉大である、という珍説を立証できた人は、いままで一人もいなかった。これからもいないでしょう。それだけの力量がある人材がいるわけもなく、真に本物の光の使徒ならば、そういう道はそもそも辿るはずもないのでね。


三宝帰依の誓いというのは、各人の魂が、仏との魂の契りを結ぶこと、それだけの深い決意と意志によってなされるはずのものであって、これを軽々しく行なったり、あるいは、軽々しく破棄して三宝を誹謗する人間は、自分で何をしているかすらわかっていないのではないだろうか。
わたしは、そう感じるものですが。

少なくとも、自分自身は、この三宝帰依の誓いを、今世のみならず、今後の転生すべてを通して貫く、仏との魂の約束であると信じたいし、実際それだけの尊い誓いなのだと思っている者です。



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【関連する記事】
posted by ガンレオ at 15:27 | Comment(2) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぽん吉がキチガイアンチであったことは、すでに周知の事実となって知られているようなので、わざわざ宣伝するまでもないかもしれませんが、

誰のことかわかりにくいかと思って、
いちおう念のため、ぽん吉の正体を探った記事へのリンクを追加しておきました。


あと、何度も書いてることですが、

ぽん吉いわく、
「嫌いなブログは読まなきゃいいんだよ」
 … だそうですが、

ぽん吉は相も変わらず、レオのブログに足繁く通ってくれて、熟読してくれているようです(笑)。
レオのブログは嫌いではない、好きだから読みに来ている、ということになりますが、
そのへん、ぽん吉の頭の中では、どう整理されているんでしょうか?

嫌いなレオブログを読みに来ているんでしょうか?
言ってることとやってることがまったく連動しておらず、矛盾しまくりでは、人格分裂と言われても仕方がないように思うのですが。

自分で言ったことくらいは、きちんと実行してもらいたいものですね。(・∀・)

Posted by レオ at 2016年11月13日 08:07
ぽん吉に該当する箇所〜「ザ・ヒーリングパワー」より


基本的には「霊障が原因」なのです。ただ、それが重度のものではあります。


重度の霊障になれば、霊能者とほとんど変わらないような状態であるのですが、高級霊は来ないで、おかしい霊や狂った霊ばかり来るわけです。こういう状況において、人格を取られてしまうのです。

(祈願や話を聴くなどしても)一度とかその程度では、精神病の人や重度の霊障による病気の人などは、治らないはずなのです。これはそうとう大変なので、家族も頑張らなければいけませんし、時間もかかります。


------------------------------------------

ぽん吉の症状は、誰がどう見ても「重度の霊障」すなわち複数の悪霊が常時憑依している状態ですね。
その症例に合致する特徴が、いくらでも列挙できるくらい、ズバリそのまま「霊障」以外ではありえません。

ご自慢の霊感?ですか。けれども、来るのは蝙蝠だの蜥蜴だの悪質レプタリアンだの、そんなのばっかりらしいですから、単なる<低級霊感体質>というだけの話でしょう。
気持ち悪い画像を好む異常な性癖をみても、その心が地獄に同通しているのは、誰が見ても明らかですからね。

自分の心のどこが問題なのか自分では認識できないようなので、わたしがアドバイスするとするなら、まずは「地獄の方程式」を徹底的に深く読み込んで、己の邪悪な心を反省するしかない、と述べておきましょう。

夏目漱石の「こころ」ではありませんが、ぽん吉は、貪・瞋・癡・慢・疑・悪見の6大煩悩の全てに引っかかっているので、重度の霊障になるのも当然といえば当然という精神状態なので、該当箇所を調べて、自分の心に照らし合わせて反省点を発見し、よくよく深い反省をすることが必須の課題かと思います。


以上、アドバイスまで。(・∀・)
Posted by レオ at 2016年11月13日 21:09
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