2016年04月22日

【レオ】インターネットと読書

LEOブログ過去記事より転載
http://ameblo.jp/space-people/entry-12038815008.html


先ほどの記事に関連して … 。

以前にも記事で書いたんですけれど、クリフォード・ストールというアメリカ人が書いた本、『コンピュータが子供たちをダメにする』。
日本語訳が出版されたのは2001年ですが、すでに絶版。
この本の中で著者は、未来のコンピュータ社会における問題点を多数列挙して、警鐘を鳴らしておりました。

アメリカにおけるネット社会の問題は、すでに90年代にはかなり表だっていたわけで、いま現在の日本が置かれたネット社会の問題は、それから幾らか遅れて、アメリカの後追いのような形で現出しているようにも思えます。

今後の日本のインターネット社会を考える上で参考になることも多々あると思うので、ところどころの文章を抜粋しつつ、紹介しながら考えてみたいと思います。


チャップリンの映画『モダンタイムズ』では、オートメーション化された機械システムに振り回される人間を、面白おかしく描いて、痛烈な批判を喜劇にして描いていましたが、
わたしたちは、機械に振り回されるために機械を発明しているのではなく、あくまでも機械は、人間のよりよい生活のために奉仕する助手として、存在すべきものだと思えます。
やはりターミネーターのスカイネットや、マトリックスのような機械による管理世界は、ありえていい社会ではないと思いますね。


著者のストールさんは言います。



ハイテク機器は子どもを読書や作文から遠ざける。勉強しようとする意欲を減退させる。
ハイテク機器は、コンピュータ・ゲームみたいなもので、理解を教えるかわりに、答えを手っ取り早く教えるようにできている。断片的な知識を提供するように作られている。そして生徒の知的好奇心をそいでしまう。
それは、自分の頭で考え批評する能力の養成ではなく、生徒に答えを即座に提供することがハイテク機器の目的だからだ。



このくだりは、アメリカの学校で行なわれるコンピュータ授業の、教育用ソフトについての指摘として、書かれている文章です。なので続けて、こう書かれています。



なんといっても自分の頭で考えるには、創造力、集中力、そして自分で考えようとする強い意志がなければならない。
教育用ソフトは、勉強は楽しい、と思わせるために、簡単に満足感を与えてくれるように作られている。だから教育用ソフトを使っていると子どもは、そのソフトで条件的な学習をすることに慣れ、知的な活動に対して受け身になる。
ハイテク機器を使って、瞬時にごほうびがもらえる対話的なやりとりのダイエット漬けになった子どもは、粘り強くやり抜く努力を嫌がる。
試行錯誤を通じて正解を求めたり、集中して忍耐強く頑張ることを嫌がる。




とあります。

幼稚園児や低学年の子供向けのビデオ教材や、画面を通してやりとりをするような教育アイテムは、すでに日本でも多くの家庭で使われているのだろうと思います。
その中には、とてもよく工夫されていて、子どもの基本的な学習がはかどる、知恵の所産も数多いんだろうなーと思います。
その一方で、そうしたコンピュータ画面でのやりとりというのは、子どもに限らず大人にとっても、上にあげたような指摘が、ある程度当たっているのは、否めないのではないでしょうか。

と自分のパソコン生活を振り返って、我ながらそう感じることが多いですね。
その意味で、ストールさんの未来警告は結構鋭く的を射ていて、今でも考えるべき指摘が多いように思います。

子ども用の教育ソフトとは違いますが、
たしかに、ネットサーフィンというのは、断片的で、さまざまな情報の集積になりがち、といった弱点があるように思います。

長い文章であっても、せいぜい4,5ページくらいの記事やニュースに過ぎないし、読んでいて内容がつまらなければ、横にある別の記事リンクをクリックして、読むのを途中でやめてしまって、別の記事に飛んでいってしまったりしますね。
集中力を欠いているというか、長い内容のものをじっくり時間をかけて深く読み込むとか、そういう使い方は殆どなされていないのではないでしょうか

同じくハイテク機器といっても、電子書籍のような形になれば、内容的には紙の本を読んでいくのと同じことだから、2時間3時間とモニターを眺めて読む、読みながら考える、ということも可能だけれども、
インターネット上の記事やニュースを読む場合は、やはりこうしたジックリ型の読み方ではなく、断片的な情報をパッパッと、あちこち飛んで斜め読み。
いくつもの記事に目を通すけれども、それらはランダムで乱雑な情報の収集にすぎず、一つのまとまった思考なり思索という形にはなっていないように思います。

以前、クローズアップ現代でも取り上げられていたけれど、
毎日のようにネットは使うけれども、本はほとんど読まない、というタイプの人。
こういう人は、画面全体を一瞬で眺めて、パパパッと必要なリンクを選んでそこへ飛ぶ。その判断速度が確かに速いんだそうです。
けれども、その反面、ひとつのことをジックリと考えるだとか、自分の思考でもって考える、という能力には欠けている。
大部分は情報の受け売りに過ぎなくて、自分独自の考えというものが無い。最後に付け足しのように、通りいっぺんの感想を述べるくらいしか出来ないでいる。
そういう特徴があったそうです。

このあたりのことが、先にあげた引用文の2つめの内容につながっていると、わたしは思います。



なんといっても自分の頭で考えるには、創造力、集中力、そして自分で考えようとする強い意志がなければならない。





以下の文章ですね。

インターネットの、断片的で、刹那的な情報を、斜め読みすることばかりに慣れてしまい、それが情報通であることのように錯覚してしまうと、
その代償として、じっくりとひとつのことを考え抜く、という訓練が欠けてしまうというか、それどころか、飽きっぽくて集中力の続かない気質になってしまいかねません。そうした危惧があるように思います。

紙の本でいえば、
有名な古典名著を読もうと思ったら、最初の方をしばらく読んで面白くなかったとしても、読み始めた以上、何とか理解しよう、この先なにか重要で面白い内容が出てくるのかもしれない。
そう思って、根気よく読んでいく、という努力が要求されるものです。
その努力は、報いられる時もあれば、報いられないで徒労に終わることもあるけれど、こうした根気ある努力を続けるなかで、集中力の鍛錬だとか、じっくり物事を考えるだとか、意志の持続だとか、そういった様々な能力が、じつはその過程で鍛えられている、という面があるのでしょう。

したがって、ネットはネットとして、有効利用できる部分は使っていいし、大いに使うべきだと思うけれども、それのみに依存してしまっては、やはりいけないのだと思います。

考える力を身に着けるための王道は、いまも昔も変わらず、これからの未来においても、やはり活字の本を読む「読書」が基本なのだと、わたしは思います。



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posted by ガンレオ at 10:28 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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