2016年04月02日

【レオ】「佐藤一斎の霊言」から、インターネットの問題点を把握する

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心を練る 佐藤一斎の霊言/幸福の科学出版

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江戸末期から幕末にかけての大儒学者、佐藤一斎先生の霊言。

そのなかで、インターネットやスマホなどの問題点を、ズバリ指摘しているとのことで、

ネットでブログを5年もやっている自分としては、果たしてこの在り方は、やってよい方向なのだろうか、それとも何か間違っているのだろうかと、ひじょうに気にかかるところもあって、
佐藤一斎先生がどのように見ているのかを、切実に知りたく思いました。


霊言の内容はやはり、発刊そうそうに、軽々しく概要を紹介するわけにも行きませんから、
実際に霊言を読みながら、触発され思うことを、感想の代用のごとくにして述べてみたいと思います。

というか、このテーマはわたし個人としても、ひじょうに関心が強く、今後いっそう重要なテーマとなるだろうという思いもあったので、今までにも何度も、ネット情報と真の知識、といったテーマを掲げて記事を書いてきているつもりなのですが、

これを期に、過去に書いた記事をみずから抜粋、引用したりして、あらためてこのテーマに関しての問題点を、網羅的に順次とりあげて、再度、連続記事にしてみようか、などとも考えています。
きっと何かしらの役に立つこともあるのではないか。そんな風に思っています。


日本でインターネットが普及、というか始まったのは、いつ頃だったでしょうか。

Windows95が出たときは、まだインターネットやプロバイダ勧誘の走りで、高速通信もなかったと思うので、それほど普及はしてなかったように思います。

というか、わたし自身、当時のパソコンって価格が高すぎて、自分の小遣いでは買えませんでしたからね。知り合いの所有パソコンをちょっと触ったことはあったけれど、自分で買うなんて、夢にも思ったことがありませんでした。
文章を書くのにも、ワープロを使って書いてたし、ちょっと前までは、大学ノートに日記帳のごとくにして、日々思ったことをつづったりしてましたしね。

大学ノートに鉛筆で書く作業というのは、考える速度に書くスピードが追い付かないので、今となっては、ひじょうにまどろっこしい作業だったなぁと思いますし、あとは手書きで書くのは付かれるんですよね。指や腕が。なので2ページも書いたら、もう手が痛くなって、そんなに多くは書けなかったりする。
今は逆に、手軽に書けるものだから、猫も杓子も文章を書いて、わたしもそうですが(笑)、だらだらと必要以上に長く書いてしまってるかもしれず、駄文が増えてるかもしれませんね。
そう簡単に書けない時代には、書けないからこそ、吟味した内容をのみ書いていたのかもしれません。
すべての人が日記を手軽に書けるようになった時代は、自己反省ノートを作成できる、という意味では便利だけれども、無駄話を大量にするだけなら、かえって時間の無駄が膨大になっているだけで、佐藤一斎先生が喝破したがごとく、コンピュータ系のツールの奴隷になっているだけ、なのかもしれません。

要注意!!ですね。

わたし自身、肝に命じなくてはいけない。そう痛感させられました。


パソコンが出始めたころに、コンピュータ関連の仕事に携わっている人は、これからの未来は、あらゆるものをコンピュータ経由で購入できるようになり、知識もインターネットに接続して瞬時に知ることが出来るようになる。
と述べて、今までのように、実際に買い物に行って現金を払ったり、知識を得るのに本を買いに行ってお金を払って … みたいなことは、時代遅れになるよ、と言っていました。

それを聴きながらも私が感じたのは、インターネットの情報にアクセスするのが容易になっても、それ以前に、自分自身の判断力を高めていない人は、どんな情報にアクセスしたらいいのか、その取捨選択や判断能力がないのだから、幾ら便利になっても、それは賢くなることとは違うだろう、と反論を述べましたけどね。
自分はまだ、パソコンなど持ってもいない時代のことです。わたしは自分でパソコンを持つようになったのは、21世紀に突入して以降なので、実は参入は遅い方だと思います。
それから携帯電話も、そんなのいらんわ!と散々抵抗していたくちで、仕事上、連絡のために所有してほしいと周囲から言われるので、しぶしぶ仕方なく持ち始めたものだから、こちらも所有するようになったの、21世紀を過ぎて数年経ってからようやく、です。

いまは書籍も、Kindleやタブレットを使って、電子端末で読むことが殆どになってしまってますが、それ以前に読んだ紙の本は、いちおう数千冊レベルでは読んでいるし、今でも年に読んでいる冊数はやはり数百冊レベルでは読んでいるので、きちんとした本は読んでますよ!ただデータが電子になってるというだけで!とは言っておきたい!(笑)。

やはりネットの断片情報を流し見しただけで、何かが分かったなんて気にはなれないし、Wikipediaは参考にはなっても、所詮は要約された概要でしかないから、そのバックボーンとなる膨大な情報が抜けてますからね。
教科書を読んで、おおざっぱな表層的なことを、ざっと知った、というだけのレベルであって、実際には、その背景にある膨大な知識をきちんと勉強しないと、何もわかったことにはならないのと一緒で、Wikipedia情報の背後にある、その人物の足跡なり、思想・実績・エピソードその他が、スラスラと出てくるようでないと、それは教養とは呼べないのではあるまいか。と思っています。

Wikipediaだけを読んでわかった気になっている人は、何かを質問されても、Wikipedia以上の情報は一つも出てこないでしょう。なぜなら、オリジナルの書籍にあたって、自分で認識をつかんだわけではなく、それは単に、誰かがまとめた要約Wikipediaを読んだことがある、というだけのことだから。

本当にオリジナルの知識を勉強していれば、もっと無尽蔵の内容をみずから語れるくらいに掘り下げていてしかるべきであって、その勉強の結果として語れば、その人みずからWikipediaくらいの要約は語れてしまう。
しかして、そこに書かれていない内容も、質問されたらスラスラ答えられる。

必要なときにちょっとネットにアクセスして、その時に調べればいいや、というレベルでは、真の知識とは言えず、それはコンピュータに必要プチ情報をちょっと教えてもらっているだけ、の話にすぎないと思います。

本当の知識であるならば、停電になってパソコンが停止状態であったとしても、自分自身の蓄積の中から自由自在に語れるのでなければ、自身の認識とは言えない。

そうした意味での、真なる教養と、ネット情報の皮相さ、を比べつつ、関連記事をときどき書いてみたいと思います。


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posted by ガンレオ at 01:03 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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