2015年12月02日

【レオ】精神の愛を語るイエスさまと、血がどうのこうのと肉体にこだわる偽メシアたち

そもそも、旧・統一教会系ブログが別団体のくせに、幸福の科学カテゴリに乱入してきてるのが原因なので、
最初にいちゃもんつけてきているのは、統一教会の方ってことですから、元凶は統一教会の方ですね。

なので、問題起こしている元凶ブログの責任と罪を問わず、それを擁護してさらには返す刀で、幸福の科学が統一教会を批判するのが滑稽、なんて主張は、完全なすり替えと誤魔化し、責任放棄と詭弁に過ぎないんですよ。
そういう行動を採っている、同じく統一信者の行動こそが滑稽、なんですけどね。

宗教以前に、常識を持った人間であるならば、まずは他団体のカテゴリに乱入して、悪口を言ってすみませんでしたと、謝罪するのが先でしょう。
そうした謝罪もなく、悪びれずに、統一教会に悪いところがあるのはわかっている、などといかにも悪の自覚があるようなふりをしつつ、実は全く反省の色がない。口だけの開き直りですね。
そういう無責任な人間に、他宗教を批判する資格など、あるわけがないでしょう。真面目に相手にするのも馬鹿馬鹿しいような案件ですね、これは。

切り返し批判のためとはいえ、統一教会の教義を宣伝してやる義理もないので、
教義に関しての詳しい批判は、こちらのブログ記事等などを参照してみてください。↓


イエス様を汚す統一教会 幸福の科学の教えこそ人類の希望
http://swedenborg-platon.seesaa.net/article/430567883.html

文鮮明と統一教会(家庭連合)の問題点
http://ameblo.jp/amamikyo77/entry-12100953956.html

「家庭連合(統一教会)の恐ろしい手口について、一言二言」
http://ameblo.jp/dev7321maii/entry-12101219431.html


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イエスさまの教えは、同じく聖書とはいえ、旧約とは一線を画して、新約と呼ばれています。
その中でも、イエス様の言行が多く述べられている福音書が、もっとも重視されているのは、ルター以後のプロテスタントでも同じことでしょう。
ヒルティや内村鑑三といったキリスト者もまた、イエスの言葉に帰れ、これがキリスト信仰の基本であり、原点であり、信ずべき言葉なのだと語っていますね。

イエスさまは2千年前の説法において、しばしば旧約の預言者の言葉を引用して、語られていました。
先にあった権威ある教えは、人々がそれを信じているがゆえに、イエスさまはこれら聖典の言葉を引用しつつ、語られることも多かったのでしょう。
けれども、その教義の解釈においては、時の宗教権威者と、イエス様の理解は全く正反対であることも多かった。形式ばかりに走って、安息日には働いてはならないと言い張るパリサイ派の立場を斬って捨て、安息日であっても盲人の目を開き、足なえの人が歩けるようにした。平気で奇跡を行なったのがイエスさまです。

旧約の教えに縛られるものではなく、新たな神の教えを説きに来たのが、イエス・キリストという方ですね。
だから、古い教えが形骸化して、内容を失ってしまっていたら、その教えの理解・実践において、あなたたちは間違っていると、イエスさまは叱りました。
律法を排するためではなく完成するために来たというのは、形ばかりになって中身を失った理解を否定し、精神的にも正しい理解を伝えんとした。それが完成という意味でしょう。

安息日は、人々に休んでもよいと与えた、神の慈悲ですね。休まなくてはいけない、働いたら悪である、などというものではなかったんですよね、そもそもは。
なのにいつしか、安息日には絶対に働いてはいけない、働くことは悪である、働くことは罪である、といった教えの捻じ曲げ、勘違い、曲解がまかり通るようになってしまっていた。
精神を失って、外面の形式しか理解しない、浅薄な宗教理解が、こういう誤謬を生むのでしょう。

だから、そうではない、と。
安息日のために人があるのではなく、人のために安息日はあるのだ、神は「人のために」安息日を与えたのであって、「安息日のルールを厳守するために」人を縛ろうとしたわけではない。正反対の解釈をしてはならない、ということですよね。
だからイエスさまは、安息日であろうと、羊が井戸に落ちたら助けます。ぜんぜんおかしいことはやっていません。糾弾されるようなことはやっていないんですよね。それを責めるパリサイ人たちこそが、モーセの律法を理解していない、というのが真相だったでしょう。

あるいは、創世記のアダムとイブの話にしても、アダムとイブが知恵の実を食べて、楽園を追放されたのが、人間の原罪である。それ以降、人間は罪の子となったのだ、などと、イエスさまはどこかで語っていたでしょうか。
原罪の思想は、旧約聖書の教えでしょう。その解釈には大いに問題があるのではないでしょうか。先の律法主義者による、安息日の曲解のように。
この楽園追放と原罪の思想も、正しい理解が出来ているかどうか、わかったものではありませんからね。

イエスさまは山上の垂訓で、人間の原罪を救うために、わたしは来たのである、と言ったことがあるでしょうか。
人間が罪の子であるとは言っていたかもしれません。それは神の前で謙虚さを忘れ、傲慢になっている人間に対して、自分の小ささを知りなさい、という戒めの言葉でしょう。傲慢になることなかれ、幼子のように純粋で素直な心にならなければ、神の心を知ることは出来ない。そういう意味で、ふんぞりかえった人間の慢心を戒めた。傲慢なる人間の心こそが、罪である、という意味かと、わたしは思います。

アダムとイブが知恵の実を食べてしまったから、子孫代々までがみな、原罪を背負って、神に対して約束を違えた罪がある、などと、イエスさま自身は述べていませんね。
ましてや、そうした罪が、肉体的な血統としての罪、肉体先祖から現在の子孫へとつながる、血のつながり、遺伝子だとか、細胞だとか、そういった肉体的なる、物質的なる理解で継続している、という解釈は、あまりにも唯物的・物質的に過ぎて、ハッキリ言えば、唯物論的解釈に堕した邪見というしか、ありません。

イエスさまは、形式的、外面的な、愚かな宗教理解を批判して、そこに精神の理解を呼び戻さんとしました。
それゆえ、心を尽くし生命を尽くして神を信じよ、人々を愛しなさいと、精神の行動によって、人は救いを得ると述べました。精神の変容をのぞむことこそが、イエスさまが人々に伝え、教えてくださったことですね。
それは物質の話ではなく、肉体の話でもありません。

したがって、アダムとエバの血を受け継いだ人類は、悪魔の血を受け継いだ罪の子である、などという主張は、イエスさまなら絶対に言わないであろうような、あまりにも馬鹿馬鹿しい主張に過ぎないと言えましょう。
肉体によって精神が規定されている、などという立場に立てば、まず第一に、神さまを心から信じなさい、ついで二番目に、汝の隣人を愛しなさい、というイエス様の与えた2つの金言より更に前に、

血の穢れを取り去りましょう、輸血して綺麗な血に交換しましょう、とでもいった主張が来なければオカシイことになりますね。しかしオカシイのは、そうした血がどうのこうのだのといった、肉体・物質に固執する、三次元の物体に囚われた見解を、平然と述べている人間の方なんですよね。単なる物質主義に陥った、愚かな人間の屁理屈に過ぎない、ということです。

イエスさまが説かれたのは、心の教えですね。
たとえ肉体は滅びても、心は失うなかれ、心の王国は守れと、イエスさまはおっしゃられたでしょう。
自分自身の肉体が磔になって、死を迎えようとも、愛の教えを説き続けたのが、イエスさまです。
そして弟子たちも、その愛の教えを広めるためには、たとえ自分が逆さ磔になって、自身の肉体生命を失おうとも、恐れることなく伝道に命を燃やしたのではなかったでしょうか。

なのに、そうした愛の教え、精神のきらめきこそが尊いと教える、キリストの教えが、

悪魔の血がどうのこうの、だのといった、肉体の成分に囚われたような珍妙な屁理屈になるわけがないんですよね。
ましてや、イエスさまが再誕されたとしても、そんな珍妙なことを言うはずは、絶対にありません。
きっとイエスさまは、何度生まれ変わったとしても、わずか数十年の寿命に過ぎない肉体生命などにはとらわれずに、あくまでも精神の輝き、神への絶えざる信仰と、人々への限りない愛を、訴えかけつづけるはずですね。

この観点に立つときに、旧統一教会の教祖が、キリストの再誕だなどという邪説は、バカバカしくて、一秒だって聞く値打もない、駄弁にすぎないことがわかります。
かつての聖典を勝手に改ざんして、キリストの教えとは全く相反する、物質主義に基づいた出鱈目な理論を構築して、人々を騙す。騙すだけでなく、キリストの再誕を詐称する。とんでもない話です。

騙しのテクニックによって信者を集めるという姿は、まさに蜘蛛が糸の罠をしかけて獲物を捕らえて離さない。捕まえたあとは、身体を麻痺させて、生きながら長持ちさせて食い尽くす、そういった姿とソックリであることがわかります。
旧統一教会の教祖の守護霊、および当人の霊的本性の姿が、このような蜘蛛の巨大化した姿であることも、うなずけるというものです。


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【関連する記事】
posted by ガンレオ at 11:45 | Comment(5) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「幸福の科学信者が、統一教会を批判するという滑稽さについて」などと

くだらんことをブログに書いてる。

統一教会ブログのあほへ。

そういうお前こそ、

幸福の科学カテゴリに居座って、

幸福の科学批判をしてんだろうが。

そういうのを自己矛盾というのだ。

その最大の自己矛盾こそ

お前にいう滑稽さの上を行く異常な滑稽さだ。

そんなこともわからんとは、

さすが邪教統一教会だ。(笑)
Posted by 英 at 2015年12月03日 10:00
記事でも書きましたが、

幸福の科学カテゴリに乱入してきているのは、統一教会ブロガーの方であって、その逆ではないんですよね。
こっちが乗り込んでいってるわけじゃないんだから。

自分が最初に悪さをしておきながら、幸福の科学ブロガーに切り返されたら「滑稽さ」なんて言っている。

滑稽なのは、自分が原因を作っておりながら、反省の出来ないお前たち統一教会ブロガーの方だろう。と言うしかありませんよね。

出て行けば、そもそも何の問題もない。
原因と結果の関係もわからないんだから、さすがエセ宗教、心の教え以前の、常識レベルの問題すらわかっていない、ということです。
以前に乱入してきて、結局追い出されたアンチたちと同じことをやっているだけのこと。追放されるの自業自得、そのくらいわかれ、ということですね。

Posted by レオ at 2015年12月03日 10:25
おまけ
Kのことについて、

ごちゃごちゃ書いてるらしいが、

そもそも、統一教会の教祖こそ

血のなんとかとかいって、

愛人何人も囲っていたんだろうが。

そんな淫し邪教の統一教会が、

正統派世界宗教幸福の科学を批判するのは、

笑わせる。

また、霊言をイタコ芸とか書いてるが、

それは、霊界など信じてない唯物論者が、

そう言ってるだけだ。

ならば、統一教会も唯物論だということだろう。

唯物論だから、肉体だとか血とかを重視する。

だとすれば、家庭連合の教祖が、

イエス様からインスピを受けたなどということは、真っ赤な大嘘であるという証拠だ。

よって、家庭連合(家庭連合)の正体は、

唯物論で、肉欲を満たしたいためだけの

淫し邪教であるということだ。

そんなこともわからんとは、

さすが淫し邪教だけはある。
Posted by 英 at 2015年12月04日 07:14
エホバの証人こと、ものみの塔の、輸血がどうのこうのって主張も、旧約の記述を文字どおり解釈しての、トンチンカン解釈が元でしょう。

結局、教えの精神的なる本義がわからないで、形式的、表面的な字句解釈に走れば、イエス様当時のパリサイ人と同じで、誤謬に陥る。

ひでさんご指摘の通り、キリスト精神がわからないから、血がどうのこうのなんていう、即物的な話に堕して、偏屈な理論を捏造してきてるわけで、その時点で問題外なんですけどね。

本来のキリスト教の深い精神的なる意味を理解できず、そういった肉体的な次元の話に引き下ろしている時点で、教祖がまったく深い精神的覚醒を得ていないことが、露呈しているのが明らか。邪教になるのも当然というか、そもそも宗教にすらなってないと、わたしは思います。

まぁダミー会社を作って騙すなんて、宗教以前に、人間としての常識以下の行動だから、もう論じること自体がバカらしいくらいの話です、本来は。
まっとうな宗教のみが残って、邪教の類は雲散霧消して消え失せて、地上に神の国が建設される日が来ることを信じて、行動していきましょう。

Posted by レオ at 2015年12月04日 08:42
統一教会系ブログに告ぐ

こちらのコメントなぜ公開しない。

それとも、公開したら後悔するのか。(笑)

もっとも、その内容はすでに、

こちらのブログのコメント欄で、

公開済だから、

意味はないがね。

(爆笑)

Posted by 英 at 2015年12月05日 18:23
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