2015年08月11日

【レオ】ハンドルネームは人なり

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「文は人なり」という言葉があります。

その人の書いた文章をみれば、その書き手の性格、人となり、ものの考え方、などがわかる、ということわざ。

インターネット上では、ハンドルネームを使って書き込みをする人が多いですよね。ハンドルネーム、すなわちペンネームのようなものですが。

わたしでいえば、「レオ」というハンドルネームで、ブログをすでに5年近く続けていますし、アップした記事の数は通算で2000近くになりそうです。
これだけ記事を書いていると、レオを名乗るわたしという人間が、どんな趣味があって、どんな主張・考えをもっていて、どういった書き方をする人物であるのか、すでに明らかかと思います。

したがって、もしわたしが、このブログを突如閉鎖して、まったく別のハンドルネームを名乗って、別の記事を書き始めたとしても、
すぐにこれは、ああ、これは以前レオを名乗っていた幸福の科学信者の、別名義ではないか、ってわかってしまうかと思います。

2,3行のコメント程度なら、他人のふりをして書き込めたとしても、
大量の文章をいくつも書いていったら、こうした文章の書き方・特徴からしてすぐに、レオの文章であろうと、容易に推定がついてしまうと思います。

作家が使うペンネームというものも、実際は、実名とは別の名を使っていることが多いから、著作用のハンドルネームみたいなものですよね。
多くは、作家の写真が添付されていたりするし、名前が出ているから、その著者の本だと認識しているけれども、別人が書いてる可能性がないとは言い切れないでしょう。
けれども、その文体や、文章の特徴をみれば、同一人物による文章だとわかってしまいます

もっとも、同じ作者であっても、何年何十年ものあいだに、考え方や文体が変わることはむろんありますから、まったく同一ではないけれども、短時日のあいだにガラッと変わるということは、普通はありえないですね。

したがって、ハンドルネームというのは、匿名のようでありながらも、その書き手の人となりを表す証明書のようなものでありますし、
そのハンドルネーム自体に、責任というものがかかってくる


どういうことかといえば、デタラメ発言をするハンドルネーム人物がいたとして、その人が周囲の人から糾弾を浴びたとします。
そのハンドルネームを処分して、別人のふりをして、また同じような場で発言したとしても、あ、これは以前〇〇を名乗っていたあいつだ!と、すぐにバレてしまいますね。(例、ぽん吉 → ブリュンヒルデ、ソフィア)

したがって、ハンドルネームを固定して語る、ということは、そのハンドルネームの名において、リスクと責任をすでに負っているもの、と私は思うんですよね。

一度そのハンドルネームで多くのことを語り、その発言が世間からの非難を浴びるような不始末をやらかしたら、この人がふたたびネットに別名義で出ても、通用する可能性はない、ということです。
すぐに正体がばれて、こいつは信用できないやつだ、と糾弾されてしまうに違いないからですね。(例、ぽん吉)


したがって、ネット上で、一定の信頼・信用を得つつ、語りつづけていきたいのなら、常日頃から、正しい言葉と内容を語って、そのハンドルネームの名において発する言葉に、責任と覚悟を持たなければいけないのだと思います。

一度信用を失ったらアウトですね。別のところへ引越しでもして、別の名を名乗ってやり直すのならともかく、同じような集団のいる場所で、別のハンドルネームを名乗って別人のふりをしても、すぐに正体はばれるでしょう。語れば語るほど、前いたあいつだと、容易に見抜かれてしまいますからね
(例、ぽん吉)



ハンドルネームというのは単なる匿名だ、匿名の陰に隠れて発言しているだけだ、とよく言われるけれども、
そのネット空間において発言し続けたいのなら、無責任で、他人から嫌がられるような発言をして、評価されるということは絶対にありません。
きちんと認められて、それなりの信用と評価を得られ、一定の支持を保ちつつブログを運営し続けるためには、それだけの自己責任と、読むに値する内容を書き続けるだけの努力が必要です。

さらに付け足しておけば、わたし個人の感想を述べれば、幸福の科学の信者さんというのは、勉強熱心な人がとても多く、思想や歴史、政治経済、文学・芸術、教育、科学、あらゆる分野に関心を持った人が大勢いて、その見る眼はとてもしっかりしていて、ある意味ひじょうに目の肥えた読み手でもありますから、
ここでそれなりの評価と支持を得るというのは、いっそう大変なことなんですよね。

だから読み手の数だけが重要なのではなく、その読み手の質も重要なのだと、わたしは思います。

幸福の科学の信者さんにしても、インドのお釈迦さま在世時の直弟子にしても、イエス様の十二弟子にしても、数だけを問うことに意味があるのではなくて、やはり弟子の理解力、その人たちの質の高さも重要だと思います。

幸福の科学カテゴリの、ブログの数と、その読者の数が、まだまだそんなに多くはないというのは、したがってそれほど重要なことではないと思います。
日本全国、世界すべてにおける、幸福の科学の信者の数が、現時点でいかほどかというのが、その評価のすべてでないのが当然であるのと同じように。
質があっての数であり、広がりこそが大切だと思いますね。

仏教にしても、キリスト教にしても、時間の流れとともに、その信者の数は増えていった。
しかして、その質はどうであったのだろうか。どこまで質の高さを保持しつつ、広げていくことが出来たのか。この兼ね合いの問題は、今後の未来においても大切な課題であり、ある意味、永遠のテーマかもしれません。

リアル生活での信者生活は当然そうですが、ブログというものを始めた以上は、自分のブログ発信の記事内容の質をかぎりなく高めていきつつ、良質の読者さんに読んでもらって、幸福の科学の話題がネット上でも広がっていく、そのわずかな一助ともなれば、これにまさるブロガーの幸福はないと思っています。

今後とも頑張って更新していきますので、よろしくお願いいたします。



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posted by ガンレオ at 18:19 | Comment(1) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ハンドルネームでさえ既に匿名なのだから、

その匿名をさらにコロコロ変えるようでは、お話にならない、というしかありません。

場所によって別名義を使うということは、あってもいいと思うけれども、滅多やたらと乱用したり、コロコロ変名するようでは、無責任のそしりを免れないでしょう。

私から見ると、発言責任を取りたくないための、変名としか思えませんので、こういう使い方をする人の発言は、基本重きも置くつもりはないし、そもそも信用しません。

そう述べておきたいと思います。

やはり発言責任を負うつもりがあるのなら、通り名として著名なハンドルネームがあるのなら、それで通すべきでしょう。
コロコロ変えるのはダメですね。
(例、ぽん吉)
Posted by レオ at 2015年11月20日 12:40
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