2015年07月18日

【レオ】続・ブログのコメント欄は、ブロガーの管理能力が問われる場

わたしの記事にいちゃもんをつけている記事を見かけたので、
一応、答えておきます。

ブログのコメント欄ごときのことでご高説
幸福の科学の一人よがりの信者の典型的な例のよう。ブログのコメント欄は、ブロガーの管理能力が問われる場 … (以下、本文。ブログ村のキャッシュを参照のこと。)


まず貴方自身、わたしを一人よがりの信者の典型的な例のよう、と侮辱的な言辞でわたしのコメント承認制論を罵倒しておりながら、
自分自身、コメント欄を閉鎖し、都合のいい時だけ開放する、取捨選択論を採用していることを自覚してくださいませ。
「コメント欄では自分の許せるものだけOK」 同じことですね。
「とにかく、心が狭い」(批判者の使った文面、そのままお返しします。)
人を批判していながら、わたしの主張をそのままやっている矛盾を自覚し、
承認制で批判コメントを排除することを、批判できる立場でないことを知ってください。
あなたの主張は、否定批判していることを自分でもやっているという矛盾です。
自分でもやっていないことを言う資格ないですね。わたし、しょっちゅうこの言葉を言ってます。

コメント欄ごとき開放すべき、というのなら、まず自分が開放したらどうですか。
もっとも今から開放したって、実践のうちに入りませんけどね。
ろくに読み手も来ない閑古鳥の鳴く貴方のブログでは、批判コメントが殺到する大変さは、経験さえ出来ないでしょうから。
コメント欄で悪口をさんざん言われて、袋叩きにあって、それでも開放し続けたなら大したものです。
まずは、多くの読者が集まるようなブログを努力して作って、反対意見が殺到するまで待ち、その後でもコメント欄をあなたが開放し続けられたなら、わたしにご一報ください。

私のように打たれ弱い者はコメントは受け付けないとか・・・。

なんて、こっそりと逃げ口上を文章に混ぜ込んでもダメですよ。そんなことは自分の主義主張から言い逃れる理由にはなりません。
自分で出来てもいないこと、やろうともしないで、弱いので閉じてます、なんて言いながら、
他人ごとのように、幸福の科学の信者なら開放しなさいよ、なんて言う資格ないですよね。
あなたも幸福の科学の信者じゃありませんでしたっけ?信者だというなら、まず自分で実践してることを述べてくださいよ。批判していることを自分でもやっていて、よく言えますね、と言わざるを得ません。
自分自身は、幸福の科学や信者への批判を好き放題言っておりながら、自分は批判をされたくない。打たれ弱いので … なんてワガママが通ると思いますか。単なる甘えに過ぎませんよ。自分勝手すぎるでしょう。
他人を批判する以上、自分も批判されるリスクと覚悟を持つのは、当然のはなしです。批判する権利を主張するなら、当然、批判されるリスクがあることを、自覚してしかるべきです。


だいたい、あなたの書いていることって、9割以上はただの不平不満ですよね。
信者と言いながら、新刊を読んではつまらなかった、ブックオフで安売りされるまで待つ。
ご生誕祭の感想を誰も書かないといって、他の人を批判しまくりながら、自分では書こうともしない。
読んだ本の感想や、聞いた話の感想も、つねに不平不満ばかり。
信者として、教えをよく理解し、感謝して受け止め、広げていこうなんて気はさらさらないようです。
文句ばかりを言っている貴方の、どこが信者なのだろうか、不思議です。実質的には完全にアンチですよね。
かつて別のアンチに名指しで、〇〇さんはすでにその心はアンチです、と指摘されていましたが、その通りだと私も思います。
建設的な意見を言っているのを殆ど見たことがありません。ほとんど全て自分を棚にあげての不平不満の羅列でしかない、という印象です。とても信者であるとは思えません。きっとここを訪れる多くの人も、そう思っていることでしょう。
こちらのカテゴリではなく、幸福の科学批判・告発カテゴリに移動された方が良いと思います。
あなたの考えや主張は、あちらのカテゴリでこそいっそう相応しいでしょう。思う存分、不平ばかりを言えばいいですね。信者籍を残したまま、アンチ活動をしている人もいるようなので、信者籍があっても文句ばかり言うあなたには、むしろあちらのが相応しいと思います。

なお、コメント欄ごときの承認制の件ですが、わたしは一個人や家庭といった、小さなミクロの単位を例にあげて、そこは各人の管轄、家庭の管轄であって、そこにわざわざ反対者を入れる人はいませんよね。
よそ者の侵入や押し売りを玄関で押しとどめても、別に自由の侵害ではない。個人を守るため、家庭を守るため、当然の行動です。プライバシーとはそういうものでしょう、的なことを前記事で述べました。
これに例えて、ブログの話をしました。ブログは一個人でやっています。ミクロの単位です。そこにわざわざ反対者の意見を自由に載せる必要がないことは、先の記事で述べた通りです。
わたしの反対者は、わたしのコメント欄に載せてもらえなくても、自分のブログを一時間もかからずに立ち上げて、反対意見を述べることが出来ます。同じネット上という、同じ土俵で、対等の個人として意見が言えます。
したがって自由ですし、わたしがコメント欄に載せないことを、心が狭いなんて揶揄される覚えはさらさらありません。
わたしのブログの読者にとっても、不快な思いをさせる意見は、外で書いてくれればいいのではありませんかね。そうしないと、読者の人もブログから足が遠のいてしまいますしね。
だいたい、もしその反対意見が魅力的なら、私のブログの読者もそちらの意見をも読んでみようと、思うかもしれませんからね。魅力がなければ読まれないだけのことです。
繰り返しますが、わたしのコメント欄で承認せずとも、外でブログを立ち上げ意見を言えば、個人対個人で対等です。なんの問題もないと思います。わざわざ私のブログに発言の場を与える必要など、ないと思います。
わたしの家ですから、お友達は中に招いて談笑しますが、敵対する人間をわざわざ招き入れてお茶なんか出しませんよ。当たり前の話です。

家庭や個人、ブログなど、小さな単位ほど、その監督者の自治権があるのが普通でしょう。

ところが、ここブログ村カテゴリを見たら、わたしには他のブログを排除する権限はありません。
ブログ村の運営者の人に通報は出来ても、勝手に気に入らないブログを削除したりできません。
一個人のブログの話、わたし個人のブログ内だけの話とは違って、多くのブロガーが集う広域の場ですから、わたしが独裁者のように勝手に取捨選択できませんね。あなたのブログを削除すること出来ません。追い出すことも出来ません。
むろん議論は出来ますけどね、いまこうして書いているように、互いに好き勝手に自由に発言が出来ますが、それが議論合戦になることはあっても不思議はない。
そんなのは世の中の言論のバトルを見てもわかります。巷で正反対の意見が主張されては議論になってますね。本を書いている人同士でも、正反対の意見でぶつかりあったりする。
けれどもそれは排除でもないし、統制でも何でもないでしょう。
自由な場での発言同士の議論なんですから。

要するに、
単位を、一個人のブログから、わずか一歩外に広げて、この小さな幸福の科学カテゴリに広げただけで、そこはもう、わたしの管轄権は及ばず、86名のブロガーがいるがゆえに、各人が自由に発言していますよ。

あなたは、幸福の科学や信者が、
NHKや朝日新聞などのメディアが一方的な意見しか取り上げないことを、批判しているのに、
自分のブログは閉鎖するんですか?などといって、対比と矛盾の指摘が成立していると思っているかもしれませんが、
メディアは第4権力と言われているように、強大な情報発信機関としての権力を持っていますよ。個人のブログの話とは単位が違います。あなた自身、「ブログのコメント欄ごとき、たかがブログ、弱小ブログ」などと私を揶揄して言っているようにね。
ちっぽけなブログの話を、第4権力の問題と同列で比較できていると思う方がおかしいですね。

巨大メディアは情報を発信する大組織として、世論の操作や、恣意的な誘導によって、選挙の動向まで左右できます。しかもかなりの独裁権力です。やたらに新規参入できませんからね。同等の力もそう簡単に持てるところまで行かないでしょう。新たな対抗メディアを作るのは容易ではありません。比較にならんということです。
今は部数が減ったとは言え、朝日新聞や読売新聞は1000万部近くの部数を、毎日各家庭に届けていたわけでしょう。テレビなどはゴールデン番組の視聴者は1000万から2000万だと言います。
放送する内容が偏っていたら、それだけ多くの人に一挙に影響を与えることが出来ますね。
そういうメディアを左翼系で独占されてしまい、保守言論を批判し、宗教政党の意見どころか、その存在さえ全く報道しない情報統制をかけるというのは、まったく次元とレベルの違う問題だということわかりませんかね。
これはミクロの世界ではなく、マクロの世界の問題なんですよ。
テレビ局を新たに作って、幸福の科学の主張を、対等の立場で訴えられますか。事実上の独占が行われていて、電波放送権そう簡単に取得できないでしょう。参入障壁がありますね。
マイナーな局で幸福の科学主催の番組があっても、職員は番組に出れないそうです。そういう規制がある。
ぜんぜん自由じゃないし、大きな権力が恣意的に意見を取捨選択し、偏った方向で流す情報を左右しています。1000万人が見るテレビ番組で、左翼偏向報道を流されたら、対抗する内容の番組を、同等の電波権をもって発信すること、当会にはまだ出来ないでしょう。

要するに、日本は国家としては自由ですよ。マクロはそうです。
けれどもミクロは違う。場所を弁えなければ、自由は規制される。騒ぐやつは講演会場から追い出される。闖入者は家庭には入れてもらえない。個人のブログがコメントを管理するのは当然の権利。こちらはミクロと考えてくださいね。
講演会からの追い出しと言ったって、アリーナ本会場で1万7000人ですからね。主催者の権限で、危険人物を入れずに追い出すのは、当然の権利です。これ別に、自由の侵害ではないですね。
これと、1000万からの視聴者や購読者を持つメディア媒体が、反対意見を取り上げないというのは全くスケールが違いますよ。マクロの問題に相当します。全人口の1割へも影響力あるんですからね。1ブログなんかと比較する方がおかしいです。

日本という国家のマクロ世界は、自由であるべきであるように、
メディアという巨大権力は、自由公平であるべきです。
一方で、国家レベルで反対意見を抑圧して刑務所送りにしたら、かつてのソ連や今の中国・北朝鮮になるでしょう。統制主義で自由がない。
テレビ放送も監視して、共産党政府の意に添わない放送は遮断する。統制です、自由が無い。

要するに、国家が自由であるべきなように、メディアも公正中立、自由であるべきでしょう。
あるいは、あらたな組織が平等の立場で容易に参入できるように、開放すべきでしょう。機会の平等です。
けれども、国家や巨大メディアが公正中立で自由に開放されるべきであっても、
各個人の家庭や、講演会場、あるいは個人ブログなどミクロの世界は、それを管轄する個人・組織の裁量でもって、参加者を取捨選択する権利がありますね。公平に誰もが自由に参加できなければならない、という理屈は、ミクロの世界になるほど通用しなくなる。けれどもそれは個人のプライバシーを守るため、団体の権利を守るため、当たり前の話です。
家庭に悪人を自由に入れさせてあげなければいけないのか。それと同じくブログのコメント欄に、反対者の意見を入れることが言論の自由?それは違います、とすでに前の記事で書きました。

もう一度いいますが、
ブログという一個人の発言場で、そのブロガーの管轄のもと、コメント欄を取捨選択するのと、
強大な権力を持ったメディアや国家・政府が、国民の発言を取捨選択して反対者の意見を封じるのとは、次元が違うんですよ。わかりますかね。

ブログは私個人の管轄下にあります、よって私の主義として、取り上げるに値しない反対コメントは承認しません。取り上げる意義があったとしたら、記事でお返事を書きます、とトップに書いてあります。
わたしのブログのコメント欄はそうなっていますが、しかし一歩外に出たら、わたしと意見を異にする、あなたのような人が好き放題発言している。
幸福の科学カテゴリレベルで、すでに自由ということです。小さなカテゴリですが、個人ブログの外の枠に少し広がっただけで、そこではブログ村の規約に反しない限り、好き勝手にみな自由に発言できます。
だったら巨大権力のメディア、テレビ、新聞などが、一方的な情報のみを流し、それに対する反対意見や行動を、まったく放送しない、記事にもしない、というのは、おかしいですよね。
ブログ村のカテゴリなんかよりも、遥かに広域にわたる、圧倒的に大きな情報発信の場ですよ。そこで一方的な意見のみ取り上げ、反対意見を抹殺するというのは、ブログのコメント欄の取捨選択とは、問題がぜんぜん違います。ブログみたいに、一時間で反対ブログ作れるわけじゃないんですからね。

巨大メディアである情報発信機関は、ゆえに自由で公平であるべき、ということです。
巨大機関や国家が統制をかけるのが、全体主義国家であり、共産党独裁支配というものですよ。
メディアが情報操作をして、一方の意見をまったく取り上げないで、無きがように扱う話は、これに相当するわけですよ。偏った一方的な情報だけ流し、反対意見は削除する、という偏向報道をすれば、圧倒的に多くの人間が、その偏った情報しか知らずに、情報操作されてしまいます。
一個人のブログのコメント承認問題とは、まったく立場が違います。対応策がむしろ逆ですね。コメント欄の場合は、自由解放する必要などさらさらなく、運営者の裁量のもと、出入りを選別する権利が、その個人にあって当然です。家庭の中が、その家族によって采配する権利があるようにです。
一個人のブログの話はミクロの話ですから、そうなりますが、これは例えるなら、共産党独裁の全体主義国家でも、各人が各家庭に戻ったら、その人個人の管轄下にある、ということを考えれば、わかるのではありませんか。盗聴器がついているかもしれないけれど、プライバシーがある程度はあるかもしれないし、それなりに自治権が個人にあるでしょう、家庭の中では。それと同じことです。
個人の世界を遥かに超えてまで、統制をかけまくるのが全体主義国家の統制です。コメント欄の取捨選択は、これとは全然違う。各家庭のプライバシーであり、無関係の人を入れないなどは、全体主義国家でもある程度は出来てる話、ということです。


わかりますかね。このミクロとマクロの比較の話。わたしはすでに前記事でこういった比較をある程度していたはずですけどね。
講演会場の外で勝手に叫ぶことが出来る。自由が担保されてます。
わたしのコメント欄でわざわざ反対意見を述べなくても、自分でブログを立てて、あなたみたいに反対意見を述べることが出来る。自由が担保されています。
しかも一個人のブログと、一個人のブログで、まったく立場は対等です。
わたし一個人のブログは、わたしの家ですから、わたし個人に裁量権があります。反対意見を入れないのは狭量ではなく、家庭に押し売りを入れないのと一緒です。
でも家を一歩出たら、その押し売りは、路上を自由に歩いていることでしょう。
どこでなら自由で、どこからが個人や家庭、主催者、グループの管轄であるべきか。その範囲は規模によって変わりますし、反対者は、家庭から追い出され、団体主催の講演会場から追い出され、本部に乱入しようとしても追い出されるでしょう。でも、その外では自由に散歩できますね、反対者も。わかりますか。
けれども巨大メディアの力はもっと広域に及ぶ巨大さであるがゆえに、さらに自由が担保されるべきですね。巨大メディアで統制をかけるのと、一個人のブログのコメント欄で取捨選択を行なうことは、まったくレベルが違う行為ということです。プライバシーの世界と、国家や巨大権力の場での話を、混同しない方がよいのでは、と考えます。
ブログは公的な場での発信だから、プライバシーの世界ではない、なんて批判は当たりませんよ。何しろあなたが言うように、たかがブログ、弱小ブログですからね、ミニミニミニコミと言っていいでしょう。
訪問者が何千人も来るわけではありませんから。場所は公的であっても、実質的にはプライバシーの世界といった方がより近いと考えます。
もし、公的な責任うんぬんを言うなら、あなたのブログの悪口・不平不満の垂れ流しの方が、遥かに有害でしょう。


以上、長々と書いてしまいましたが、

あなたも信者を名乗るなら、不平不満ばかりを並べるのではなく、少しは読んだ人が、読んでよかったーと思えるような記事を書いてみたらどうでしょうかね。

書く記事といったら、先ほども書いたように、

新刊を読んでは、つまらなかった。
話を聞いても、つまらなかった。
予言なんか、当たらない。

自分は何かやっているんでしょうか。
すべて他人事であり、自分以外の会員に対して、会員たちは何をやっているんでしょうかと、文句ばかりを言い、自分自身で率先して、何か建設的なことを発言しよう、考えを練って発信してみよう、行動しようという気は、まったく無いんですかね?

わたしは会に所属しているだけの小さな人間なので、
世に広めたいといってる人たちが頑張ればいい、宣伝したい人がやればいい。
もしそうやって、他人事のように無責任で好き勝手な立場で、信者を不当な言いがかりで批判ばかりするのなら、
今後いっさい、あなたは信者を名乗らないでほしいと思いますね。
発言内容を見る限り、ほぼ100%アンチと言って間違いありませんから。
幸福の科学批判告発カテゴリへ移動して、好きなだけ他人ごとのように、文句ばかりを言っていればいいと思います。

さんざん好き放題、批判・罵倒をしておりながら、最後の方では、

謙虚に受け止めたいと思います。

なんてこっそり書いてますけれど、謙虚さのかけらも見受けられない貴方の性格、よく反省した方がいいですね。


わたしが偉そうすぎるとしたら、わたしも反省すべきところ、多々あるのかもしれません。
けれども、あなたのように、悪口ばかりの人間に言われても、そのまま言葉通り受け止めて、素直に聞く必要があるのか、疑問だなーとも思います。

あなたが自分を棚にあげて、いつも他人ごとのように好き勝手な悪口・暴言を繰り広げているのをみて、
しかも信者と言いながら、幸福の科学とその信者への悪口・文句、霊言の高級霊にもいちゃんもんをつける。驚いたことに、総裁先生の法話にまでケチをつけまくりの信者ですか?
あなたのブログは滅多に更新もなく、たまに更新されたと思ったら、何かしらの文句があって、不平不満を言いたいだけ。そういう時にしか記事を書かない人の、勝手な意見を聞かされて、
ああ、こんな人の指摘でも、もっともな言い分だなー。この人の指摘にしたがって、自分を改めないとなー、なんて気持ちにはとてもなれませんよね。
それはわたしの未熟でありますけれど、それよりむしろ、あなたの感化力の無さ、説得力の無さの方にこそ、主原因があると感じます。
あなたのブログに魅力と人気がないのは、あなたの心や考え方に魅力が無いからです。
コピペだけのブログであっても、あなたのブログと比べたら、遥かに上質ですよね。なぜなら邪悪な毒気がないからです。

まぁ、せいぜい頑張ってくださいませ。不平不満だけを言いたいのなら、批判告発カテゴリへお引越しをすることを、オススメしておきたいと思います。
わたしに出来るのは、お引越しの勧めまでで、自ブログのコメント欄と違って、強制力はなんにもないのでね、排除でも追放でもない、オススメのみです。
どうするかは貴方のご自由です。謙虚に受け止め、考えてみてください。


それでは。


* あなたの相手を延々しているのは、時間がもったいないので、基本ご返答はこれきりにしたいと思います。あしからず。ああ、時間を無駄にしてしまった。

おしまい。




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posted by ガンレオ at 00:12 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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