2015年07月26日

【レオ】ブログのコメント欄は、ブロガーの管理能力が問われる場

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2015-07-16 14:47:01 初投稿日


ブログのコメント欄について、4年半にわたるブログ運営の経験から思うことを、以下に述べてみようと思います。


よく、言論の自由をたてにして、言論の自由が真の自由なのだから、
ブログのコメント欄も自由に解放するのが、真の自由主義者だ。
みたいな主張をする人を見かけますが、わたしはこれは間違いを含んでいる考えだ、と思っています。

世の中は善も悪も玉石混交であり、真の民主主義社会においては、
各個人に発言の自由が与えられている。
だから、ブログにおけるコメントも、本来自由であるべきであり、
そのコメントをブロガーの恣意で取捨選択するのは、言論の規制であり、言論の自由を阻害するものだ。
そんな風な考え方だと思いますが、

世の中が善悪玉石混交だからといって、自分のブログのコメント欄まで善悪玉石混交にする必要はないと、わたしは考えるんですよね。
いや逆に、世の中が善悪混合で、混乱してアナーキーだからこそ、
自分個人が運営するブログに関しては、善を推し進め、悪は押しとどめる

自分の記事は、善なる記事を中心とし、コメントに関しても、多くの読者が読んでためになるコメント、
読んだ人が心地よいあたたかなコメント、そういうコメントで満ちるように、自分のブログを善なる方向でまとめるべく運営していくこと。
それが個人ブログを、善きものに育てていく、という意味だと、わたしは思うんですよね。

世の中が善悪の玉石混交だから、ブログのコメント欄も自由に解放すべきである。
文句や不平不満の類も受け付けて承認すべし、それが言論の自由ではないか、なんていう人がいるかもしれませんが、これは違うとわたしは思います。

世の中が善悪の玉石混交だからといって、自分の家庭の中を同じように善悪玉石混交にしますか。
世の中に悪人が跋扈しているからといって、自分の家庭の中も世の中の縮図だから、悪人を自由に入れさせて、発言や行動を自由にさせるのが、自由の理想なのだ、なんて考えますかね。
すり替えがあるんですよ。言論の自由をすり替えて、勘違いしてはいけないのではないでしょうか。

世の中が善悪入り乱れて、玉石混交というのが、確かにこの3次元世界の実態です。
えらい神さまの生まれ変わりの方もいれば、地獄から上がったばかりですぐ出てきたような人もいる。
だから世の中は善悪が混ざって、混乱しています。
けれども、だからこそその中で、人は個人として、心正しき人は出来る限り、善き思いと善き行動でもって、世の中を善導しようと生きてゆく。
世の中は善悪入り乱れているけれど、自分個人は、個人の責任のもとに善なる人間として生きていこう。自分の家庭は、善なる家庭を築いていこう。そして出来うれば、自分が関わる身の回りの世界も、すこしづつ善に転化していけるよう頑張ろう。
それが善を推し進めるための、天国的なる生き方というもの
だと、わたしは思います。
縮図をわざわざそのまま再現する必要などないんですよ。

世の中が入り乱れているから、自分自身も善も悪も半分づつ行おう、悪の思いと行動も自由にさせよう自分自身に、なんて考えませんよね。
ブログの中を、邪悪なコメントに自由解放する必要などない、というのは、そういうことです。
自分個人の名においてブログを作る以上、善なるものに作ろうと努力するのが、先にあげた個人の善へ向かう努力ですよ。わざわざ悪想念を自由に解放させる場を与える必要などないわけです。

したがって、ブログを作るというのなら、そのブログ全体を、善のオーラで満たすこと。
自分の記事も出来る限り、善念でもって満たし、光あふれるブログを出来れば作っていきたいものです。
そしてその一環として、コメント欄がありますね。コメント欄もまた、そのブログの一部です。

ブロガーとは別の人がコメントを入れるといっても、そこにわざわざ悪想念むき出しの人のコメントを、承認して公開してあげる必要などさらさらありません。
こちらが苦労して善なるブログを作ろうとして、努力して築き上げたところに、なんでポッと出の、悪口を言いたいだけの暴言者のコメントを載せ、宣伝してあげる義務があるでしょうか。
不平不満を言いたいのなら、自分でブログを立ち上げて、その不平不満に正当性があるか、多くの人が読んでくれる人気ブログを作れるかどうか、チャレンジさせればいいんです。
そういう努力もしてない不平家に、多くの読者がついたブログで、好き勝手に発言させて、そういう不平不満を宣伝させてやる必要など、さらさらないわけです。
不平のたぐいは、自分でブログを立ち上げて、やっとくれ。その発言に正当性があれば、世の中の多くの人から注目をあびることが出来るでしょうね。
けれども私のブログを、あなたの不平不満の発言の場として、利用させる気など、わたしにはさらさらありません。
お引き取りください、と私は言います。
そういうコメントを垂れ流しにしたら、コメント欄が悪想念で満たされるようになり、自分のブログの雰囲気そのものが、悪想念でむんむんするブログになること必定だからだと思うからです。

コメント欄を自由にすべし、悪口や文句も承認するのが言論の自由、なんて主張する人は、言論の自由をすりかえて、はき違えているだけのことです。
コメント欄で承認しなくても、その暴言者は、自分でブログを作って、そこで好きなだけ暴言を吐けばいいんですよ。それですでに、言論の自由になっていますよ。
言論の自由というのは、どこでも、どんな場所でも、個人のブログでも、個人の家庭でも、プライベートの世界でも、悪人にも自由な発言・行動を許すことではありません
( → 以前アンチに対して、このテーマで記事を書いたことがあるので、興味がある方はどうぞ。「発言の場の自由について 〜アンチブログ「楽山日記」に対しての反論〜」

世界には、言論の自由がない国がありますね。
中国や北朝鮮、かつてのソ連など、全体主義国家において、言論の統制が行われ、違反者は刑務所にぶちこまれる。
これを持ち出して来て、ブログのコメント欄を承認制にしている人は、全体主義者だ、とかいう人は、頭がおかしいというか、頭わるすぎ、と私は考えます。これもまたすり替えだからです。
国家レベルの問題とミクロのプライベートの視点を、ごちゃ混ぜにして混同してはいけないでしょう。それは物事の分別ができておらず、単純思考に陥ってるだけのことですから。

上の方でも書きましたが、こういうすり替えを行なう人は、
自分の家庭の中で、悪人を自由に招き入れて、自由に発言・行動させるのが自由主義だ、それを追い出して玄関を締め出すのは自由の侵害だ、それは全体主義国家の統制と同じ考えだ、と言ってるのと、同じ思考をしているんです。
頭が悪いというか、すり替えをやっているだけで、自分ですり替えをやっていることすら、当人は気づいていないかもしれませんね。
日本は自由主義の国だ。言論の自由が保障されている。だからどの場においてもその縮図にして自由にしなくてはいけない。そう勘違いしてるのでしょう。

何をやっても自由、言論の自由とは、ブログにおいても自由にコメントできること。どこで何をやっても自由なのが言論の自由である。

これは間違いです。何をやっても自由、どこでしゃべるのも自由ではありません。
それは悪魔の言う自由です。騙されてはいけないんですよ。

かつて太古のむかし、大悪魔となったル〇が、人々を惑わした理論といっしょでしょ?
お前たちは自由なんだ、何をやっても自由なんだ、その自由は神でさえも邪魔できない、尊い自由なのだ。
これといっしょです。

ブログで悪しきコメントを排除するのは、全体主義でも言論統制でもありません。
それは家庭に悪人が入るのを阻止するため、玄関にカギをかけて、怪しい押し売りを中に入れないのと同じく、正しいことです。
世の中が善悪半々だったとしても、自分の家庭のなかは、善なるものにしたいでしょ。悪を入れないでしょ。家庭の中も、世の中の縮図だから、悪人も半分入れなくてはいけない、なんて考えないでしょ。
悪人を自由に招き入れることが、自由主義ではありません。すり替えてはいけないんですよ。

日本は自由主義の国ですから、基本的に言論の自由が保障されています。とはいえ、どこでも好き勝手に悪口だろうが不平不満だろうが、言っていいのか、言うことが出来るのか、といったら、出来ませんよね。
講演会場でいきなり騒ぎ出したら、連れ出されて、追い出されます。これ、言論の自由の侵害でしょうか?全体主義でしょうか?
違いますね。外でなら好き勝手に幾らでも騒げますから、会場の外で勝手に一人でわめいていればいいんですよ。言論の自由です。しっかり担保されています。外で自由に騒げてますから。言論の自由の侵害ではありません。自由主義社会のままです。
ブログのコメント欄も一緒。悪口・不平不満コメントは削除します。外で勝手にしゃべってください。自分のブログで勝手に不平不満いってください。できますから。外で勝手に騒いでください。言論の自由です。しっかり担保されています。

この比較でわかるでしょうか。別に全部のコメントを承認する必要はない。
不適切なコメントは、ブロガーの判断のもと、ときには承認せず削除して無視しても構わない。それは言論の自由の侵害でありません
上の講演会場の乱入者の排除と同じく、ブログの平和と秩序を守るために必要な、不適切コメントの削除にすぎないのですから
これを全体主義、言論統制っていう人は、講演会場で乱入して騒いでいる人を、連れ出して排除するのが、言論の自由の侵害だって言っているのと同じ、詭弁を弄して誤魔化しているだけですね。
ここで騒がせろ!といって騒いでいる人間と同じ判断レベルの人間ということです。自由の理解が幼稚といっていいかと思います。

要するに、
ブログのコメント欄を野放図にして、邪悪なコメントも垂れ流しにしている人は、別に自由主義者でも何でもありません。
そういうブロガーは単に、善悪の価値判断が出来ておらず、コメント欄の管理能力もないブロガー、というにすぎません。おそらく自分個人の中においても、善悪の取捨選択が十分に出来ていない可能性すらあります。

自分個人として、善なる生き方を選ぶのが、神に仕えようとする人間の、正しき道というものです。
悪を排し、善を選ぶ。悪をおしとどめ、善をおしすすめる。
ブログにおいてもしかりだと私は思います。
善をおしすすめ、悪をおしとどめる。
善なる記事を書くことを中心として、不平不満はなるべく出さないようにする。心をよく統御して、正しい文章をできるかぎり書くようにする。
コメント欄は、他の人が書くものだけれど、そこもまた善なる思いの人のコメントで満たす方向で、きちっと管理することが、善なるブログを作るコツである。
善念で満ちたブログの雰囲気を作れるかどうかは、そのブロガーの心がけ次第であり、管理能力そのものが問われている。
私としては、そう考えるものです。

発言には責任がありますからね。わたしは自分のブログのトップに、そのことをコメント者に対しても伝え、この注意事項を読んでからコメントしてくださいと、LEOブログでは掲げています。
もし文句のたぐいのコメントをしてきても、承認する必要なしとみれば削除しますし、
それなりに取り上げる内容を持っている場合には、そのコメント内容を自分のブログで取り上げ、記事としてアップする、と述べています。
その場合、コメントを記事で引用しつつ、わたしの記事を書きますがいいですね?その覚悟をもって、コメントしてきてください、と掲げています。
これは文句のたぐいのコメント者に対しての文ですけどね(笑)。

コメントだからといって、無責任に好き放題言って、あとの責任は取らないなんていうワガママは通らないんですよね。同じく、多くの人の目につく、ネット上での発言をしたわけですから、その発言に対しての責任は当然ありますからね。その責任を取る覚悟はやはり必要です

以上、ブログのコメント欄について思うことを、述べてみました。
結論としては、やはりこれは、そのブログの運営者であるブロガーの、管理能力の問題である。
その人の、自由に対する理解、善と悪に対する考え方。
その人個人が、善なる方向を推し進めようという思いを、どのような形でブログに反映させているのか。
そういったことが具体的に現れ出ている場でもある。
わたしは、そう思うのです。


おしまい。

*別に変なコメントが来たから、こんな記事を書いたわけじゃありませんので、ご心配なく。ハハハ。



続・ブログのコメント欄は、ブロガーの管理能力が問われる場
http://gunleo.seesaa.net/article/422542261.html


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posted by ガンレオ at 15:18 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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