2017年04月13日

【レオ】忙中閑あり

忙中閑あり。
忙しいさなかにも、閑(かん)、ひまはあるものだ。

毎日仕事で忙しくて、肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいで、閑などまるでない、というなかれ。
それであっても、ゆとりの時間、暇の時間をわずかでも作ればいい。
それが10分、15分でも、心からの解放を得られる「寂」の時間を得る。

安岡正篤さんは、戦争中、激しい空襲のさなかでも、20分の短時間に悠々と座禅をする時間を持ち、心を極める努力をしていたそうです。

忙しいさなかでも、寂なる時間を持つ、閑たる時間を持つ。
それは時間的な余裕を持つ、という意味だけでなしに、

その忙しい時間の真っ最中にも、心のどこかにゆとりを持つ。心がいっぱいいっぱいにならず、ゆとりの心の空間を持つ。
それが大事なのではないかと、最近は思うようになりました。

物理的に、ゆとりの時間が持てないのなら、仕事でアップアップしている、その業務時間の中においてこそ、心の解放を得られないだろうか。
100の仕事をしている時に、心が100でアップアップでは、ゆとりどころではありませんね。
ならば、120の心の大きさを持って働けばよい。さすれば、100の気持ちを仕事に割り当てても、あと残り20の余力がある。心の余力がある。
それが、心のゆとりの部分であって、同じ時間内の「閑」の時空間ではあるまいか。

安岡さんは、忙しい、という言葉の「忙」という字は、心が亡くなる、と解けると言っています。
忙しい中に忙殺されていると、まさに忙殺の「忙」ですね。心が亡くなる。心を見失ってしまう。

これではいけないのでしょうね。
心が亡くならないように、忙殺されてしまって、自分の心の全てが失われるのではなく、なお余力があって、ゆとりの部分があるほどに、大きな心を持って生きればよいのではないか。

これは仕事の技術の向上によっても得られるかと思いますが、
仕事の覚え始めというのは、どうしてもわからないことだらけで、アップアップ状態で仕事をしますよね。
けれども、仕事内容を覚えて熟達すれば、時間当たりにこなせる仕事量も増えるし、仕事スピードもアップする。
ルーティンワークを軽妙にこなすことが出来るようになると、時間の余裕も生まれるし、心にもゆとりが生まれます。一挙両得です。

こうした、心の自由を得て、その上で生きれば、仕事の合間にイレギュラーな事件が起きても、心は泰然自若として、余裕を持って対応できる。アップアップにならんのです。

だから、100の仕事をしながらも、120の心、150の心、200の心をもって、心のハンドルに自由な遊びを持って生きたいものです。

忙中閑あり。

そういう意味でも、わたしはこの言葉を解したいと思うのでありました。

ここ数日のあいだに、しばしば思ったことですけどね、ハハハ。
忙しく仕事をしているあいだでも、ブログ記事は書けるのです。



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posted by ガンレオ at 11:26 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする