2017年02月05日

【レオ】教えるのが下手だなぁ … 

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 … と感じさせられる人に、しばしば出会うのだが。
 

なんというか … 。

 

自分が知っていることを話すだけの行為は、「教える」にはなっていないと、わたしは思うんだが。

教えるというのは、相手の理解力に合わせて、その内容を噛み砕いて、相手にわかるように伝える技術のことであって、これが出来ないようでは、単なる独り言の押しつけに過ぎないと、わたしは思う。

 

仏教で言う「対機説法」というのは、まずは自分が学んで深い智慧を得て、その上でその内容を、他の人にもわかりやすく説明できる、相手に合わせて話すことが出来る。

そこまで深く理解した人のことを言うのであって、単に自分が学んで知ったことをしゃべれる、だけでは、対機説法が出来るレベルには達していないと、わたしは思うのです。

 

大学時代に思ったのは、授業の下手な教授があまりにも多すぎる、ということで、

あまりにもつまらなく、わけのわからない授業ばかりなので、これじゃ授業に出ない学生ばかりになるのも当然だよ、と思ったものでした。

 

ある数学の先生などは、教卓の向こうにちょこんと座って、しかもマイクをずっと握っているんだけども、ぼそぼそと独り言のように教科書を読んでしゃべっているだけで、

その教卓のまわりに7、8人の生徒が集まっているだけで、その後ろはガラガラでした。

で、一番後ろに、いつ抜け出してもいいように座っている学生が数名。そんな授業だったんですけどね。1コマ90分の授業を、休憩をはさんで2コマ。180分間もその教授の話を聞いてないといけないなんて、馬鹿馬鹿しいでしょ?

だから授業には出ないで、教科書を勝手に独学して、試験でパスすればいいや、なんて学生が殆どだったわけです。聞いてもわからん授業、面白くもない授業を聞いてたって、時間の無駄ですからね。

 

この手の教授が、しかも一人じゃなくて、何人もいるんですよね。

いったい、こんなんでよく大学教授が務まるなー、と疑問に思ったものですが、大学教授というのは、研究が仕事であって、授業は片手間なんですよね。比重として。

それに、高校、中学、小学校の先生と違って、教師になるための資格も要らないんですから、教える技術なんかゼロでも、教授になれば大学生に教える立場になるわけです。

まぁーひどいシステムですよねー。

 

教えることが下手くそ、魅力ある授業を行なう技量など皆無な人が授業を行って、それに出なきゃいけないなんて苦痛を考えたら、大学生が授業をさぼるのは当然の流れだと思いますけどね。学生が悪いんじゃなくて、これは教授に、教えるための技術が無い、もっと言えば、教師を名乗る資格がない人が授業をやっているのが、大学というところではないか。

これに当て嵌まる、ダメな大学教授の数は、相当な数に達すると思いますよ。むろん中には、魅力的な授業を行っている名物教授もいるでしょうが、そういう人は滅多にいないでしょう。

 

ということで、

 

教えるということは、単に自分が知っていることをべらべらとしゃべれるだけではダメだ、ということ。

それは、生徒にわかるように伝える技術を持っている、相手に合わせて話をすることが出来る、そうした対機説法能力を持っていることを「条件」とする。

ということだと、わたしは思います。

 

いくら博識でいろんなことを知っていても、説明が下手くそで、誰一人として、その人の話に魅力を感じていない、聞いていてもわからず、面白くない、なんて先生はいくらでもいます。

一般人の中にもいるでしょう。

 

それは要するに、自分独りのひとりよがりの勉強の仕方はクリアしてきてるけれども、いろんな人の視点から、ものごとを見てみる。多角的に、多面的にものごとを見る、という訓練は、ほとんどやってきていない人、ということでもありましょう。

 

だから、自分にはわかる、と言い張っていても、他の人にわかるように、視点をずらして噛み砕いて話してみる、だとか、そういう、話し方の工夫、説明の工夫をするだけの力量がない。

幅広い応用力というか、すなわち対機説法ですね。子供が聴いてもわかるように、お年寄りが聞いてもわかるように。素朴な人が聞いてもわかるように。教養人を相手にしたら、また違った話し方で説明する。だとか、そうやって、相手に合わせて、話の切り口を変える。説明の仕方を変えるとなると、ヴァリエーションは無限に増えていくのがわかるかと思います。

 

それだけの多角的な観方でもって話せるようになるには、学ぶ時点ですでに、自分だけの単眼視点ではなくて、この部分は他の人が読んだら、どう思うのだろう、感じるのだろう、などという風に、想像力をたくましくして、学びながらすでに、単眼視点を克服して、複眼思考で学ばないといけない。そのくらいの学び方が出来ていないと、教えるのが上手な人間にはなれないと、わたしは思います。

 

他の人に教える、というのは、ひじょうに高度な能力を必要とするのであって、

自分が学業を学んで、よい学校に入ることが出来た、というのとは、レベルがまた違う、より上位の能力なのだと思います。

 

野球選手でもそうですよね。

選手としては一流。しかし、コーチになったら、誰も育てることが出来ない。

こういうタイプは、自分一個の能力としては完成していても、他の人に同じような能力を身に付けさせてあげる、そういう指導能力、教える技術はまるで持っていない。そういう人ではないかと思います。

 

勉強もそうですね。

その人自身は勉強が出来て、よく物事を知っている。

しかし、他の人に教えるセンスはまるでない。説明が下手で、教えるレベルに達していない。

対機説法が出来ないので、知ってることを鸚鵡のように繰り返すしか出来ず、相手に合わせて縦横無尽に切り口を変えて話してみる、ということが出来ない。

 

学ぶというのは、単に自分がわかれば済む話ではなくて、他の人に伝える技量をも踏まえて、さらに高次の学びを求めるのでなくてはならない。

わたしは、そう考えるものです。

そして、そういう風に考えて学び始めると、学びは無限の深みを求められるようになり、うかうかと自惚れている暇などは無くなります。

 

自分一個の理解で自己満足している人は、けっこう簡単に己惚れてしまうかと思いますが、こういう人は、他の人に伝えるという視点を入れたら、自分がまだまだ未熟も未熟である、という視点が欠けているんでしょうね。独りよがりなんですよ。だから簡単に己惚れる。自分に甘いタイプといってもいいかもしれません。

 

学びはあくまでも謙虚に。無限の学びを目指して生きるところに、慢心や自惚れの入る余地は無し!

そう思って、淡々と、みずからの学びを深めてまいりましょう。

 

 

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posted by ガンレオ at 23:56 | Comment(0) | レオブログより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする